大奥の歴代総取締役にはどんな女性がいたんでしょうか?
大奥の総取締役 歴代は?絵島・岩瀬・お万の方?
大奥全体の統括は時代によって変異はありますが、将軍付老女が月番制で担っていたのが一般です。
大奥総取締という役職は実際にはなかったそうで(そういう役割をしていた人はいたそうで)すが、その中にあって単独で権勢を振るえた女中が稀に存在しました。
いわゆる大奥総取締と呼べる女中は5代将軍綱吉付上臈御年寄・右衛門佐と、12代将軍家慶付上臈御年寄・姉小路の2人です。
右衛門佐は鶴姫付上臈として江戸に下向し、一時は紀州家に入っていましたが後に江戸城に戻り、将軍付上臈として大奥女中の総括をしていたとされます。
姉小路は「きたいな名医難病療治」で風刺されるほど、大奥で権勢を誇った上臈御年寄ですが筆頭上臈御年寄に就いたことは一度もありませんでした。
(参照:畑尚子著「徳川政権下の大奥と奥女中」)
大奥の最高位は上臈御年寄だったそうですが、この地位についた人のほとんどが御台所と一緒に京から来て御台所に仕えた御公家さんのお姫様で、実権はなかったそうです。
その下が小上臈という若い女性。
その下に御年寄が数人いて、その筆頭を御用係と言い、大奥を仕切る最高権力者だったみたいです。(主な役目は、書類の決裁、手紙の披露、寺社への代参など。)
上臈御年寄は一般的には権限を持ち得ない役職でしたが、時代によっては、老女が上臈御年寄に統一されて御年寄という職名がなかったこともありました。
加えて先に上げた姉小路や右衛門佐など、上臈御年寄でありながらも個人として力を持つ例もありました。
大奥の実権を握った御年寄として有名なのは10代家治の時の松島と、12代家慶から15代慶喜まで四代に渡って君臨した瀧山でしょう。
絵島は月光院付御年寄です。
大奥の総括は将軍付老女の役目ですからそれだけを見ると、絵島には権力がなかったようです。