大崎佑圭さんは元女子バスケットボール選手で強さとしなやかさを兼ね備えた日本代表の不動のセンターとして活躍。
大崎佑圭さんの気になる結婚した旦那(夫)や子供などプロフィールをまとめています。
大崎佑圭wikiプロフィール
名前:大崎佑圭
旧姓:間宮 佑圭(まみや・ゆか)
出身地:東京都
生年月日:1990年4月3日
年齢:34歳
身長:183cm
出身中学:東京成徳中学校
出身高校:東京成徳大学高等学校
大崎佑圭の結婚した旦那(夫)や子供は?
大崎佑圭さんが結婚したのは現役時代のこと。
2016年12月に入籍し、2018年5月に妊娠を公表しています。
現在は母親として「児童発達支援士」の資格を取得し、日々の子育て生活にゆとりを持てるよう、また保護者として、ママアスリートとして意見交換をする際に的確な言葉がけができるように心がけているそうです。
大崎佑圭のバスケ経歴
大崎佑圭さんはバスケを始めたのは姉の影響です。3歳年上の姉がミニバスのチームに入っていて、その練習についていったのがきっかけで小学2年からバスケットボールを始めています。
中学・高校では全国大会で活躍を続け、2009年にJOMO(現ENEOS)に入団。
同年の東アジア大会で初のA代表入りを果たし、以降女子バスケットボール日本代表のメンバーの主力として活躍。
2013年アジア選手権では、優勝に貢献し、大会ベスト5に選出。アジア選手権は2015年、アジアカップに名称が変わった2017年にも優勝。2016年のリオデジャネイロオリンピックではベスト8進出に貢献しています。
大崎佑圭の現在までの経歴
「東京オリンピックに出たい」という思いがあったものの、2021年に開催が延期されたことなどで2020年8月10日現役を引退。
現在は、「女性アスリートの道を切り開いていきたい」という思いで精力的にバスケットボールの普及活動などに尽力しています。
大崎佑圭のツイッターやインスタグラム
大崎佑圭のツイッター
大崎佑圭のインスタグラム
大崎佑圭のフェイスブック
大崎佑圭の高校や中学の学歴は?
大崎佑圭さんの通っていた高校・中学は次のとおりです。
出身中学:東京成徳中学校
出身高校:東京成徳大学高等学校
東京成徳大学中学校時代には全国大会優勝。高等学校進学後もインターハイ・ウインターカップ準優勝、3年時に国体優勝に貢献。
大崎佑圭さんの小学校については学校名を特定できるだけの情報が出てきませんでした。
そのため地元の学校に通っていた可能性が高そうです。
大崎佑圭の大学の学歴は?
大崎佑圭さんの学歴について、高校卒業後はどうやら大学には進学していないようです。
高校を卒業するとるJOMO(現エネオス)に入社しバスケ部で活躍をします。
大崎佑圭の身長・体重は?
大崎佑圭さんの体重については具体的な数字は公式HPなどでも明らかにされていませんが身長は183㎝です。
まとめ:大崎佑圭wiki|年齢・身長は?結婚した旦那(夫)や子供は?
元女子バスケットボール選手の大﨑佑圭(おおさき・ゆか)さんは選手時代は「メイ」の愛称で親しまれ、パワフルなプレーと正確なシュートで、日本のバスケットボール界を代表するセンターとして活躍しました
東京オリンピックへの強い意志を持ち、2年半ぶりに代表復帰を果たしたものの、大会延期により断念。
現在は、バスケットボールの普及活動に力を入れ、児童発達支援士として新たな道を歩んでいます。
■輝かしい選手時代:ツインタワー、オリンピック、そして数々の栄光
東京成徳大学中学校・高等学校時代から才能を開花させた大﨑さんは、全国大会優勝、インターハイ・ウインターカップ準優勝、国体優勝など、数多くの輝かしい成績を残しました。
高1でU-18日本代表に選出され、3年次にはアジア選手権初優勝に貢献。高3ではチームメイトとなる篠原恵選手とともに「ツインタワー」と呼ばれ、全国大会で渡嘉敷来夢選手とのライバル関係を築きました。
2009年にJOMO(現ENEOS)に入団すると、同年東アジア大会でA代表入りを果たし、日本代表の中心選手として活躍。
2012-13シーズン:得点ランキング1位、ベスト5入賞、レギュラーシーズンMVP
2013年アジア選手権:優勝、大会ベスト5
2013-14シーズン:プレイオフMVP
2016年リオデジャネイロオリンピック:ベスト8進出
2017年アジアカップ:優勝
2018年FIBA東京2020オリンピック予選大会:出場
引退後に述べたように、「バスケットボールと私の人生は一体」というほどの情熱を注ぎ、数々の栄光を手にしました。
■結婚・出産を経て再び代表へ、そして新たな挑戦へ
2016年12月に結婚し、翌年4月に大﨑佑圭として選手登録を変更。
2018年5月に妊娠を公表し、競技活動から離れました。
2020年1月、東京オリンピックを目指して2年半ぶりに代表候補選手に選出されました。
しかし、オリンピック延期を受け、断念。同年8月10日に現役引退を表明しました。
引退後は、「女性アスリートの道を切り開いていきたい」という想いで、バスケットボールの普及活動に尽力しています。
講演会やクリニック活動などを通じて、子供たちにバスケットボールの楽しさを伝えています。
また、「児童発達支援士」の資格を取得し、子供たちの子育てや成長をサポートしています。