情熱大陸に日本人初となる山岳医として活動する大城和恵さんが出演!
普段は北海道札幌市にある北海道大野病院の山岳外来で勤務しているものの、
期間限定で富士山8合目にある富士山衛生センターで山岳医療を施したり、
大城和恵自身もエベレスト登頂を成功させるなど一流の登山家でもあります。
大城和恵(山岳医)wikiプロフィール(結婚,学歴,大学,本)は?
- 生年月日:1967年
- 出身地:長野県長野市
- 高校:長野県長野高等学校
- 大学:日本大学医学部(最終学歴)
- 専門科:循環器内科、山岳医療
- 資格:医学博士、UIAA/ICAR/ISMM認定国際山岳医※日本人初
- 所属:北海道大野病院(山岳外来)、富士山衛生センター(期間勤務)
日本大学医学部は東京都板橋区にあり、
大学卒業後はそのまま同じキャンパス内にある
日本大学医学部附属板橋病院第1内科に入局。
その後、2002年の35歳の時に札幌へ引っ越しをして北海道大野病院勤務し始めたものの、
英国国立レスター大学に留学するためにいったん、仕事を辞めています。
2010年にレスター大学で山岳医療修士を取得すると、
日本人初のUIAA/ICAR/ISMM認定「国際山岳医」となり、
2011年に北海道大野病院復職し山岳外来を開設。
現在は北海道大野病院の循環器内科の専門医としての勤務しつつ、
山岳外来も兼務する業務形態となっています。
大城和恵さんの名前をおそらく全国区に押し上げたのは、
イモトが世界の山に挑む日本テレビの「世界の果てまでイッテQ!」登山部に
山岳医として参画してからではないでしょうか。
イモトさんに同行する形で大城和恵さんも
- マッキンリー
- キリマンジャロ
- マナスル
などの大陸最高峰の登頂を成功。
2013年5月には80歳の元プロスキーヤーの三浦雄一郎さんの「エベレスト挑戦プロジェクト」に参加し、
世界最高齢記録更新をサポート。
三浦雄一郎さんは2006年から登頂直前の2013年までに
4度も不整脈の手術をしていて再発のリスクを抱えていたものの、
無事に登頂できたのは大城和恵さんのバックアップがあったからでしょう。
2015年の夏季からは富士山富士宮口8合目の診療所「富士山衛生センター」に期間限定で勤務するようになり、
「山岳医療救助機構」というウェブサイトを開設して山岳医療情報を配信しています。
(2018年4月以前のサイト名は山岳医療情報)
大城和恵さんは下記のような役職を歴任しており、
- 北海道警察山岳遭難救助アドバイザー医師
- 富山県警察山岳遭難救助アドバイザー医師
- 長野県山岳遭難対策特別アドバイザー医師
- 全国警察山岳遭難救助アドバイザー医師
- 文部科学省南極地域観測統合推進本部委員
- 総務省消防庁消防大学校救助科講師
- 公益財団法人日本山岳・スポーツクライミング協会医科学委員常任委員
- 公益財団法人北海道体育協会スポーツ科学委員
- 一般社団法人日本登山医学会理事
- 「三浦雄一郎の肉体と心 80歳でエベレストに登る7つの秘密」(2014/10/21,講談社+α新書)
- 「登山外来へようこそ」(2016/8/10,角川書店)
といった著書も出版しています。
大城和恵(山岳医)の山岳外来(山岳医療)とは?
山岳外来(山岳医療)とは山での事故・怪我が起きてから処置をするのではなくて、
トラブルの予防を目的としています。
過去数年の山での遭難による死亡について調査した結果、
救助隊が到着時に生存していたのは遭難者のうちの2.5%という極めて低い数字となっていて、
救助隊に医師が同行しても救える命はごく一握りとなっているのが現状です。
不幸にも山で発生した遭難事故の発生後だとどうしても助かる命は減らすのは難しいため、
山で死ぬ人を減らすためには、予防法の周知や健康診断と治療といった事前の介入をすることが、
山岳外来(山岳医療)の趣旨となっています。
日本の山で起きる死亡事故の三大死因は、外傷・低体温症・心臓突然死が挙げられ、
このうち、「低体温症」は正しい知識を持つことで防ぐことができるとのこと。
また「転倒滑落」などによる外傷はも適切なスキルや体力などを身に着けると対処可能なケースも増えるんだそうです。
大城和恵さんは山岳医として、山岳外来
- 遭難しないための医療情報
- 心臓死の予防
- 高所登山のアドバイス
- ファーストエイド技術の講習会
などを指導しています。
大城和恵が山岳医として山岳医療を志すきっかけは?
大城和恵さんがそもそも、なぜ医者を目指すようになったのかというと、
リウマチを患っていた母の病院通いに小学校低学年のころから付き添っていて、
治療を受けるたびに母の痛みが軽減されていくのを目の当たりにしていたからだそうです。
「人の役に立つ仕事をしたい」と医者の仕事に憧れを持つようになり、
順調に進学を重ねて医学部に入学します。
医療の中でもなぜ山岳医という特殊な分野を選んだのかというと、
長野県長野市という自然豊かな環境で育ち、
1歳になるかならないかのころから父に背負われて山登りをしたり、
冬は家族でスキーに行ったり、友達と裏山へ遊びに経験がベースになっているようです。
ただ、本格的な山登りを始めたのは医学部の大学時代から出そうで、
北アルプスの美しい涸沢(からさわ)の写真を見て実際に涸沢へ出かけたことが、
登山の魅力にハマるきっかけになったそうです。
そして、大城和恵さんが山岳医を志す決定的なきっかけになったのが、
勤務医として働いていた30代後半の長期休暇中にネパール旅行でヒマラヤをトレッキングをしていたときのこと。
高山病でフラフラになっている登山客と出会い、
呼吸法等を教え、自身の水を分け与えて下山を促すなどの応急処置を施し、
無事下山させることに成功。
ただこのときに、高山病に対する自分の知識が十分でないことを痛感し、
「自分の指導は果たして適切だったのか?」と思い悩んだことが、
山岳医療を専門的に学びたいと考えるようになったそうです。
大城和恵(山岳医)の登頂記録は?
- 1998年 キリマンジャロ(5,895m/タンザニア)
- 2010年9月 マッキンリー(6,190m/アメリカ)※山頂よりスキー滑降
- 2011年8月28日 キリマンジャロ(5,895m/タンザニア)※イモトのイッテQ
- 2013年10月2日 マナスル(8,163m/ネパール)※イモトのイッテQ
- 2018年5月17日 エベレスト(8,848m/ネパール)
2018年5月のエベレスト登頂は、
総額700万円の費用の一部は借金してプライベートで倉岡裕之のエベレスト登山隊に参画
難易度の高い中国・チベット側のルートからの登頂成功は日本人女性医師初の快挙で、
トップニュースになってもおかしくない実績ではあったものの、ちょうど同じころに、
登山家の栗城史多さんがエベレスト登頂を断念して下山途中に低体温症で命を落とすという、
訃報が大きく報道されていました。