利重剛さんはドラマ「半沢直樹」や「この恋あたためますか」といったドラマに出演をしていますが、もともとは舞台で長く活躍してきた俳優。
自ら演技するだけではなく監督・脚本家としてもずば抜けた才能を発揮している利重剛さんの気になるプロフィールをまとめています。
利重剛wiiプロフィール
芸名:利重剛(りじゅうごう)
本名:笹平剛(ささひら ごう)
出身地:神奈川県横浜市鶴見区
生年月日:1962年7月31日
年齢:58歳
身長:178cm
血液型:B型
配偶者:今野登茂子(元プリンセスプリンセス)
出身高校:成蹊高等学校
最終学歴:成蹊大学(中退)
職業:俳優・脚本家・映画監督
所属事務所:クォータートーン
「利重剛」というのは芸名で、大好きな祖父の名前である「利重(とししげ)」に由来をしています。
高校3年生で監督したブラックコメディの8ミリ映画『教訓I』が、
1981年の「ぴあフィルムフェスティバル」に入選し大島渚監督より絶賛を浴びると、ドラマ「父母の誤算」では主演で俳優デビュー。
大学一年の時には「近頃なぜかチャールストン」では岡本喜八監督のもとへ持ち込み、主演・共同脚本・助監督もこなすなどマルチな才能と活躍ぶりを見せています。
利重剛の経歴
利重剛さんは「クロエ」、映画「さよならドビュッシー」の監督や脚本を務めているほか、
ナレーションなど幅広いジャンルで活躍
1995年には当時19歳の中谷美紀さん主演の映画「BeRLiN」で日本映画監督協会新人賞受賞。
デート業で男性客相手にあらゆる誠意を尽くす主人公キョーコが失踪した事件を軸としたストーリーとなっていました。
2001年の映画「クロエ」がベルリン映画祭に出品。
恋に落ちた主人公は自分の幸せを親友にも分け与えようと借金返済のお金を提供します。しかし親友は自分が応援するアーティスントの作品に。さらに愛する彼女に病が発覚するという物語。
ちなみに、ドラマ「行列の女神~らーめん才遊記~」では
黒島結菜さん演じる汐見ゆとりの父親役の汐見亮二を利重剛さんが演じています。
汐見亮二は主人公のゆとり(鈴木京香)がラーメンに興味を持つきっかけを作ったフリーカメラマンです。
半沢直樹
2013年放送の「半沢直樹」では利重さんは、主人公・半沢直樹の同期で近藤直弼(滝藤賢一)の出向先「タミヤ電機」の経理部経理課長・野田英幸役で出演しています。
銀行から上司として出向して来る者が気に入らず、近藤を「元銀行さん」と呼んで見下す態度を取り、
近藤がすっかり自信を失い気弱になってしまいましたが、そんな憎まれ役を見事に演じていました。
この恋あたためますか
森七菜が主演を務める『この恋あたためますか』では浅羽拓実(中村倫也)の出向元の会社の上司・都築誠一郎役で出演しています。
利重剛のツイッターやインスタグラム
利重剛さんはツイッターやインスタグラムにはアカウントを開設していないようです。
利重剛の高校や大学など学歴は?
調査中
利重剛の身長・体重は?
利重剛さんの体重については具体的な数字は公表されていないものの身長は178㎝です。
映画やドラマではあまり気にならないものの、実際にあってみると意外と高身長でびっくりしてしまいそうですね。
利重剛の母親と父親など家族構成は?
利重剛さんは生まれて間もなく両親が離婚しているものの、小学校6年生まで、両親が離婚したことは知らされていなかったそうです。
父親はサンフランシスコで働いていると母親がごまかしていたそうで、小学校6年生で事実を教わり、父親とも久しぶりの対面を果たしています。
高校入学するころまでは日曜日に会って一緒に映画を観ることもあったようですが、
「ですます調」で会話するなど、ぎこちない雰囲気もあり、徐々に疎遠になっています。
40歳すぎて利重剛さんは結婚し子供が生まれたことをきっかけに、20年以上ぶりに父親に孫を合わせようと
「孫を抱いてくれ」といった内容の手紙を出すも最初は「とにかく俺は会えない!」と断られ続けたそうです。
時間をかけて説得を続けた結果、ようやく父親が孫との面会に前向きなり、
動物園で会いましょうとかいう計画を立てていた矢先に亡くなってしまったそうです。
では利重剛さんの母親はどんな方なのかというと脚本家で知られる小山内美江子さんです。
「3年B組金八先生」やNHKの大河ドラマ「徳川家康」「翔ぶが如く」などを手掛けている著名な脚本家で
映画のスクリプターという記録係として働いていたときに結婚。
長男の利重剛さんを妊娠したことをきっかけに脚本家に転身しています。
ちなみに小山内美江子さんが脚本を担当した大河ドラマ「徳川家康」では利重剛さんが豊臣秀吉役で出演しています。
「3年B組金八先生」の脚本を手掛けていた時はまさに利重剛さんが高校生で、
自分自身の子供の様子をモデルとしたようです。
利重剛の結婚した嫁は?娘はいる?
利重剛は離婚歴があるバツイチです。
元妻は1990年に結婚した小説家の鷺沢萠さんで女子大生時代に『川べりの道』で当時史上最年少で受賞第64回文学界新人賞をしています。
作品はイタリア、韓国などでも翻訳されていますが1991年に離婚すると、
2004年4月11日に東京都目黒区の自宅で自殺。
享年35歳という短い生涯を終えています。
現在の妻はガールズロックバンド「PRINCESS PRINCESS」のキーボードを担当していた今野登茂子さん
再婚同士で1999年にNHK-BS2の10周年記念企画として制作・放送された「中国敦煌シルクロードの旅」に共演したことが出会いのきっかけで、
2002年に利重剛さんと結婚しています。
今野登茂子さんはバンド活動と並行して1994年からソロ活動を始めると映画『パイパティローマ』に主演で女優デビュー。
1996年にはPRINCESS PRINCESSが解散した後は『NHKひるどき日本列島』レギュラーキャスターも務めていました。
利重剛さんと今野登茂子さんの間には2004年生まれの娘さんが一人います。