リリーフランキーさんと言えば第42回 日本アカデミー賞(2019年) ・ 最優秀主演男優賞などを受賞している俳優。
もともとは「おでんくん」などのイラストレーターで知られていたリリーフランキーさんの家族は?
両親(父親・母親)の職業や名前は?
リリーフランキーの父親の職業は?
リリー・フランキーさんは2018年10月に開催された東京国際映画祭の「Japan Now」のトークイベントに出席した際、2017年8月に実の父親を亡くしていたことを明かしています。
「3つまでしか一緒に住んでいなかったですが…」と語った。リリーは05年、自らの半生をつづったベストセラー小説「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」でも、父との独特な距離感を保った交流をつづっていた。
リリー・フランキーさんは父親にまつわるエピソードとして、
夜に寝ていたところ酔っぱらった父親が玄関から部屋に続くガラス扉足で踏み割って入ってきて、飲み屋でお土産にした焼き鳥を食わされた
というのがリリー・フランキーにとって人生でもっとも古い記憶でなおかつ父親との「一番新しい記憶」として残ってるんだそうです。
その後は小学生のときに「夏休みだけ父親のところに行け」って言われて会いに行く程度になったようです。
その際、「動物園に連れてってくれる」と言いつつ競馬場に連れていかれたり、飲み屋に連れてかれて気持ち悪くなって吐いて怒られたといったこともあったそうです。
父親のことは親子だと思っているが「家族」だと思ったことはないと話しています。
父親の職業については、リリーフランキーは当時から炭鉱に近い街で暮らしていたようなので炭鉱マンだったのかもしれませんね。
リリーフランキーの家族・母親は?
北九州・小倉の炭鉱の町で生まれ育ったリリーフランキーさん。
母親と父親は別居していたものの、最後まで離婚せず、別居したまま母親は亡くなったそうです。
母親と二人でいろんなところを転々としながら暮らしていたそうですが、結局は筑豊の母親の実家で、おばあちゃんと一緒に同居するようになったそうです。
筑豊というのは福岡中央部を指し、この地域で炭鉱により特に栄えたのが、
田川、飯塚、直方の3市ですから、その、5歳あたりから移り住んだのが田川だったのでしょう。
その後中学で一端小倉に帰りかけますが結局筑豊に残り、高校で別府に出るまで筑豊です。
母方のばあちゃんは魚屋で、リアカーで魚引いて町中まわっていたそうです。
リリーフランキーの結婚した嫁や子供は?
リリーフランキーは結婚歴のない独身だとみられます。
今までに何度か結婚のチャンスはあったとも言われていますが、結婚相手(妻・嫁)は子供はいないことがわかっています
まとめ:リリーフランキー両親・家族は?父親の職業や母親の名前は?
氏名:リリー・フランキー
本名:中川雅也(なかがわ まさや)
生年月日:1963年11月4日
年齢:59歳
出身:福岡県北九州市小倉
血液型:B型
身長:174cm
出身高校:大分県立芸術短期大学付属緑丘高等学校
出身大学:武蔵野美術大学造形学部芸能デザイン学科卒
趣味:寝ること、読売ジャイアンツファン
事務所:ガンパウダー有限会社
リリー・フランキーはさんの生い立ちは、福岡県北九州市小倉で生まれた後、5歳から中学卒業までを福岡県鞍手郡宮田町(現:宮若市)で過ごし、高校は大分県別府市で過ごしました。高校生の時から一人暮らしを始めており、大分県立芸術短期大学付属緑丘高等学校を卒業後、武蔵野美術大学に進学しました。しかし、ファミコンに夢中になり、留年してしまったため、卒業までに5年を要しました。彼の卒業制作はファミコンのプレイ映像でした。
リリーフランキーの経歴
24歳から25歳の頃に初めて連載を持ち、その後、「頼まれた仕事はすべて引き受ける。断る理由がない」という信念のもと、ピーク時には約30もの連載を掛け持つなど、多忙な日々を送っていました。物理的に不可能となり、締め切りに間に合わず、連載を断念することもしばしばありました。
1991年に宍戸留美のラジオ番組の構成を担当し、宍戸の楽曲制作にも関わりました。これが音楽関係の仕事のきっかけとなり、その後、リリー・フランキーは数多くのアーティストに作詞提供をするようになりました。また、彼はイラストも描いており、森高千里のシングルCD『ロックン・オムレツ』のカバーイラストとPVアニメを手掛けたこともあります。
1994年から1999年まで、雑誌「ぴあ」で「あっぱれB級シネマ」を連載し、その後『日本のみなさんさようなら』として刊行され、広く知られるようになりました。
2003年には福田和也、柳美里、坪内祐三と共同編集で季刊文芸誌『en-taxi』を創刊しました。同誌の創刊号から4年間、彼は自身初の長編小説『東京タワー ?オカンとボクと、時々、オトン?』を連載しました。この小説は彼と母親の半生を綴った作品であり、2005年に扶桑社から単行本として出版されると、口コミによって広まり、200万部を突破する大ベストセラーとなりました。さらに、この作品は「本屋大賞2006」の大賞を受賞しました。また、テレビドラマ化や映画化、舞台化もされました。彼の出身地である福岡県内の書店では、彼の単行本を購入すると、彼のイラスト入りブックカバーがプレゼントされるキャンペーンも行われました。
2006年には、ソフト・オン・デマンドが主催する「AV OPEN?あなたが決める!セルアダルトビデオ日本一決定戦?」の名誉総裁に就任しました。また、同年には安めぐみとの音楽ユニット・リリメグが「おやすみ」でCDデビューしました。彼らはもともとJ-WAVEの番組で企画されたユニットであり、フジテレビ系『新堂本兄弟』やテレビ朝日『ミュージックステーション』にもゲスト出演しました。同年、彼は雑誌『KING』(講談社)の創刊にも関わりましたが、創刊記者会見で自身が関わる雑誌は2年以内に廃刊されることが多いと発言しました。その後、『KING』は本当に休刊となりました。
2021年には、彼は北九州市立文学館の「こどもノンフィクション文学賞」の選考委員を務め、その年、悠仁親王が佳作を受賞しました。