漢文「梁上君子」現代語訳・書き下し文・原文

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漢文「梁上君子」の原文及び

現代語訳
書き下し文

について。

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漢文「梁上君子」原文

時歳荒民儉、有盗夜入其室、止於梁上。
寔陰見、乃起自整拂、呼命子孫、正色訓之曰、
「夫人不可不自勉。
不善之人未必本悪、習以性成、遂至於此。
梁上君子者是矣!」
盗大驚、自投於地、稽ソウ帰罪。

出典:後漢書・陳寔伝
1.家の梁の上に潜(ひそ)む者。盗賊。盗人(ぬすっと)。
2.転じて、鼠(ねずみ)。

漢文「梁上君子」書き下し文

時に歳荒民儉、盗(ぬすびと)の夜其の室に入りて、
梁上に止まる有り。
寔(しょく)陰(ひそ)かに見、
乃(すなはち)ち起(た)ちて自ら整へ拂(はら)ひ、
呼びて子孫に命(つ)げ、色を正して之(これ)に訓(おし)へて曰く、
「夫(そ)れ人は自ら勉(つと)めざるべからず。
不善の人未(いま)だ必ずしも本(もと)より悪ならず、
習ひて以(もっ)て性と成り、遂(つひ)に此(ここ)に至る。
梁上の君子是(これ)なり!」
盗(ぬすびと)大いに驚き、自ら地に投じて、稽(けい)ソウして罪に帰す。

漢文「梁上君子」現代語訳

時に凶作があり、民は飢饉に苦しんでいた。
ある夜、盗賊が(陳寔の)部屋に忍び込み、梁(はり)の上に身を潜めた。
陳寔はひそかにそれを見ると、立ち上がって身の回りを整頓し、
子供たちを呼び寄せ、教え諭して言った。
「そもそも人間は、自ら勤勉に勉めねばならないものだ。
悪人というのも、本性から悪人であるのではない。
悪い習慣が身についてしまい、そのようになってしまうのだ。
梁の上に潜んでいる君子こそ、まさしくそうなのだよ!」
それを聞いた盗賊は大いに驚き、
自ら梁より下りて来て、頭を地面にこすりつけ、自らの罪を認めた。

まとめ:漢文「梁上君子」現代語訳・書き下し文・原文

(語注)
○歳荒:凶作。
○儉:飢饉、凶作。
○正色(色を正す):顔色を厳しくする。真面目な顔つきになる。
○習以性成:習慣がつくと、最後には生まれつきの性質と同じになる。『書経』に「習与性成」の語が見える。
○稽ソウ:頭を地面にこすりつける礼。

漢文「梁上の君子」の時代背景について詳しく説明するよ!これは昔のお話で、後漢王朝という国があったんだよ。でも、その国は西暦220年に滅びちゃったんだ。でも、実はそれよりも前から国がだんだん弱くなる気配がしていたんだよ。その原因は、自然の災害や飢饉などの天災もあったけど、それ以上に「人災」と呼ばれることが大きかったんだ。

その人災の一つが、宮中で力を持っていた宦官と呼ばれる人たちの存在だよ。宦官は去勢されて男らしい特徴を持たない人たちのことで、宮中でおしゃべり役や雑用をしていたんだけど、だんだん政治の力を握るようになったんだ。その中には優しい人もいたけど、お金や権力が欲しい人もいて、国を乱れさせてしまったんだ。

そこで、宦官たちに反対する「清流派」と呼ばれる知識人たちが出てきたんだ。清流派は宦官の悪い影響を止めたいと思っていて、その中の一人が陳寔って人だよ。陳寔は、学問が大好きで、正義感が強い人で、判決を下す時も公正だったんだ。そのため、陳寔の名前は知識人の中で高まっていったんだ。

でも、後に宦官と知識人の争いが激しくなり、宦官たちが知識人を攻撃しようとしたんだ。その出来事を「党錮の禁」と呼ぶよ。知識人たちは逮捕されてしまうと、大切な地位を失ってしまう可能性があったんだ。陳寔は自分が逮捕されることで、他の人たちを守るために自分から名乗り出たんだよ。でも、幸いにもすぐに許されて釈放されたんだ。その出来事で、陳寔の評判がますます広まったんだ。

その後も陳寔は名声を保ち、知識人たちの尊敬を集めていたんだ。ある日、盗賊が陳寔の家に忍び込んでしまったんだけど、陳寔は怒らずに、その盗賊に善い道に戻るように言葉をかけたんだ。それを聞いた盗賊は驚き、自分の過ちを認めて改心したんだ。

陳寔はその後も、知識人たちの尊敬を受けながら生きていきました。陳寔の孫の陳羣も後に有名な政治家になったんだよ。陳羣は官吏の選抜制度を作ったりして、国を良くしようと努力しました。

陳寔は自分の信念を守り、誠実な人間関係を大切にした人物でした。そのおかげで、陳寔という人のお話は、後世に美談として伝えられました。それから、「梁上の君子」という言葉が、泥棒のことを指すようになったんだよ。

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