ウィキペディアを日常的に編集しする人たちのことををウィキペディアンと呼ぶそうですが、
さえぼーこと北村紗衣さんがマツコの知らない世界に出演し、
知られざるウィキペディアの魅力を語りつくすということで評判となっています。
さえぼー(北村紗衣)さんといえば、実名・肩書きを公開している希少なウィキペディアンの一人で、
なおかつアカデミックなバックグラウンドを持っている移植の人物です。
さえぼー(北村紗衣)wikiプロフィール(学歴,大学)は?
- 本名:北村紗衣(きたむらさえ)
- 出身地:北海道士別市
- 生年月日:1983年(昭和58年)
- 大学:東京大学(教養学部超域文化科学科表象文化論卒業)
- 最終学歴:キングズ・カレッジ・ロンドン英文学科博士課程
- 専門分野:シェイクスピア研究(主に受容史)
さえぼー(北村紗衣)さんはどうやら、中学校の時に不登校を経験していたようで、
学校勉強できなかったことが人生で最もつらかったと話しています。
またさえぼー(北村紗衣)さんの大叔母に当たる方が専業主婦ではなく
学校の先生としてずっと働いていて強く影響を受けたそうです。
しかも離婚をしてしまったそうで、
「結婚しなくても生きていける」という人生の先輩がが身近にいたことが、
今の自分の背景になっているとのこと。
さえぼー(北村紗衣)さんは、東京大学の学部鵜を卒業後、
いったんは東京大学の修士課程に進み給料が発生する
特別研究員の話もあったようですが辞退。
文学系の研究者で特別研究員の誘いを断るのは相当の決断だったと思いますが、
かねてから渡英してキングズ・カレッジ・ロンドン英文学科博士課程に入学することを決めていたんでしょう。
2012年9月に正式に東京大学大学院を退学すると2013年4月に
キングズ・カレッジ・ロンドンで博士論文を提出しPh.D(博士号)を取得しています。
日本に帰国後は、雄松堂書店古書事業部契約社員として仕事をしながら研究をつづけ、
非常勤講師(慶應義塾大学文学部、東京大学教養学部)などを経た後に、
武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授に就任して現在に至ります。
さえぼー(北村紗衣)さんはれっきとした研究者ですから、
- 表象文化論学会
- 国際シェイクスピア協会
- 日本シェイクスピア協会
- 日本英文学会
- 英国シェイクスピア学会
などなどの学会に所属しており、論文も日本語・英語通じて多数発表しています。
- シスターとブラザーとセックスーふたつの『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』の間で 2019/05
- ワイルドが言うとおりにワイルドを解釈することはできるか?-アナーキーと「著者の意図」の間で 2018/11
- 不条理にキラキラのポストモダンー『マリー・アントワネット』が描いたもの、描かなかったもの 2018/03
- Shakespeare for Women? Margaret Cavendish and Judith Drake on Seventeenth-century Theatre, Pleasure and Education 2018/10
- A Shakespeare of One’s Own: Female Users of Playbooks from the Seventeenth to the Mid-eighteenth Century 2017/03
ほかにも、
- シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち-近世の観劇と読書 (白水社、2018年3月)
- お砂糖とスパイスと爆発的な何か-不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門 (書肆侃侃房、2019年6月)
といった書籍も発表しています。
さえぼー(北村紗衣)のブログやツイッターアカウントは?
さえぼー(北村紗衣)はツイッターとブログを持っていることがわかりました。
さえぼー(北村紗衣)のアイコンともなっているツイッターアカウントの緑色のクマは、
ブログに投稿されている写真にもたびたび登場しています。
メディア出演歴には、
2015年からWebマガジン『wezzy』で連載
2019年4月10日TBSラジオ「アフター6ジャンクション」ゲスト出演
などなどの他、様々なwebサイトにインタビュー記事が掲載されています。
さえぼー(北村紗衣)のウィキ活動歴は?
さえぼー(北村紗衣)さんがウィキペディアンとして活動するようになったのは、
2010年ころからとされています。
その後は、日本科学史学会大会でウィキペディア編集に関するパネルディスカッションを企画したり、
大学の授業の一環で「英日翻訳ウィキペディアン養成セミナー」を実施したりしているものの、
さえぼー(北村紗衣)さんの活動には賛否両論が巻き起こっています。
大学の授業で利用するなど、さえぼー(北村紗衣)の私的利用が少し問題視される傾向も見られました。