佐賀替え玉保険金殺人事件の真相は?犯人逮捕のその後は?

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佐賀替え玉保険金殺人事件とは1981年に佐賀県で起きた保険金詐欺事件。

結果的に佐賀県警による裏付け捜査も不十分だったため事件の真相が明るみになるまで時間を擁することになりましたが犯人は逮捕されています。

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佐賀替え玉保険金殺人事件の真相は?

1981年(昭和56年)1月22日、佐賀県星賀湾で釣り人が水没した赤い乗用車を発見

警察に通報し引き上げられた車内から北九州市の水産会社社長S(当時42歳)の水死体が見つかりました。

車の名義も彼のものでした。後部のバンパーには別の車に追突されたようなへこみがあり、岸壁には別の車のものと思われるスリップ跡やテールランプの破片も落ちていました。

一方、遺体には鈍器で殴られたような複数の傷もあったことから、警察は自動車事故を偽装した殺害事件と認定。

警察の捜査で間もなくSが経営する水産会社の社長秘書・T子が殺害を自供します。

Sはスナックで働きいていたT子のことを気に入ると秘書として雇った従業員で、捜査でT子はSの愛人であることが判明。

T子は過去に結婚していましたが7年前に夫が失踪し、やがて死亡が認定されていました。

Sの妻・K美は会社の事務を担当し夫とT子との関係について知りつつ黙認していました。

事件直後、遺体の身元確認には妻・K美だけではなくT子も一緒に来ていたことを不審に感じた警察は、Sの妻のK美がT子と手を組んでSを殺害したのでは?と疑念を持つようになります。

鑑識ではSの車に追突した車は福岡県のレンタカー会社所有の車であることが特定され、事件が起きた翌日には車を借りていた人物から「車が盗まれた」と連絡があったことを知ります。

その借主はSの妻・K美の弟で、事情を聞くとK美から頼まれていたことが明らかになります。

警察の取り調べに対してK美とT子は事件当日、篠栗参りに出かける予定で弟にレンタカーを借りてもらったと供述。

しかし、途中で運転していたT子の気分が悪くなったためK美の自宅で休んでいたところ、深夜にSが事故で亡くなったと連絡があったため、2人でタクシーに乗って警察署へ向かったのだと言います。

警察は次にタクシー運転手に事情を聞くことと、タクシーにはK美とT子の他にベレー帽をかぶった男もいたことが判明。

事件5日後、事情聴取にT子がついにタクシーに乗っていたのは死んだはずのT子の夫だったことを供述しはじめます。

夫が生きていることがわかると手当を受け取れなくなるため生きていることを隠していたのでした。

死亡したことになっている自分の夫に実行役を依頼したと言います。

こうしてSの殺害を計画・実行したとして、事件から5日後の1月27日にK美とT子が殺人容疑で逮捕。

殺人罪に問われたK美、T子は佐賀地裁唐津支部で事件に対する二人の関与度合いは異なると判断し、共犯と認めたT子に懲役7年、一方のK美の罪は殺人幇助にとどまるとして懲役4年と量刑に差を付けた。

実行犯とされるT子の夫の足取りはつかめずにいたところ、事件から6日目に発生した国鉄・山陽本線新下関駅での列車への飛び込み自殺で死亡したのがなんと6日前に遺体で見つかったとされたS本人。

警察は改めてK美とT子に事情を聴くと実はS本人が事件を計画・実行した犯人であることが判明します。

犯行当日、Sは自分の身代わりとなる替玉を探すために福岡の競艇場に向かうと、自分に似ている男性を見つけます。

食事に誘い男性を酒で酔わせ眠らせたところで車に乗せて佐賀県に向かうと、顔が判別できなくなるまでバットで殴打。

自分の着ていた服を男性に着せ自分の車の運転席に乗せ、事件のあった海岸で後ろからレンタカーで追突。

その後、福岡に戻り証拠隠滅のためレンタカーも海中に沈めていたのでした。

自動車事故を偽装して遺体となって発見されたのはT子の夫でもなく、彼は本当に失踪したまま行方不明でした。

事件当日、タクシーに乗っていた男性は逃亡をはかったSで、警察の取り調べに対して事件の全貌が明らかになることを恐れたT子が苦し紛れにだした嘘の証言でした。

佐賀替え玉保険金殺人事件の犯人逮捕のその後は?

Sは事件から6年前に水産会社をを設立し一時は業績も良かったものの記録的な冷夏の影響で不漁が続いたことから、経営状態が悪化。

従業員によると事件の前年には消費者金融や高利貸しから2億8000万円もの借金があり、Sは金策に走り回っていいました。

Sの事故死については当初、借金返済をめぐり取り立てに来た暴力団の間で何らかのトラブルが生じたのではないかと推測されていました。

そしてSには保険がかけられていて受取人はK美。金額はなんと2億7000万円。

その後の調べでSは愛人のT子からも2500万円もの金を借りていることが判明しました。

Sは自殺する際、捜査本部長にあてた遺書を残していて4億円もの借金を抱えていたことを告白。

病弱な妻や援助してくれたT子、従業員にこれ以上迷惑をかけられないと自殺を決意したとしるされていたそうです。

ただ生命保険の保険金は自殺では満足に下りないことから借金も残されたままとなりました。

佐賀替え玉保険金殺人事件では、佐賀県警がK美の「遺体は夫」との言葉を鵜呑みにし指紋照合もしていなかったことが事件発覚に時間を要する1つの要因となりました。

身代わりで殺害された男性はすでにSとして弔われていたため、本来の葬儀の際には遺骨さえなく遺族は「警察がしっかりしてさえいれば…」と泣き崩れたという。

S自殺の急報が警察に入ったのは、替え玉殺人だったことを発表する記者会見の直後のことでした。

Sの自殺を警察官から伝えられたK美は思わず「私が死にたかった」と漏らしたことから、火曜サスペンス劇場でのドラマ化作品はこの言葉がそのままタイトルとなりました。

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