相良育弥さんは日本でも数少ない茅葺き職人の一人(2019年時点、日本で茅葺を請け負える職人は200人未満)ですが、茅葺き職人という枠組みにとらわれない経歴に注目が集まっています。
プロフィールから考えると相良育弥さんが茅葺き職人となるのは偶然のめぐりあわせといった感じですが、気になる年収や実際に相良育弥さんが茅葺きをしている時の様子を画像と共に紹介します。
相良育弥wikiプロフィール
名前:相良育弥(さがら いくや)
生年月日:1980年
年齢:40歳(2020年数え年)
出身地:神戸市北区淡河町
相良育弥さんは高校卒業後、建築デザインの専門学校に通っていたもののDJにのめりこみます。
就職はせずDJとしてやっていきたい気持ちはあったものの、DJだけではさすがに食べていくことができず、
専門学校卒業後の20歳から24歳までの4年間は、悶々としながらどうしようかと模索する日。
「自分が本当はなにをしたいのか?」と自問自答する中、祖父が牛小屋を改装して作った家屋に引きこもり、
本を読み漁って自分の琴線に触れる言葉を見つけては、ひたすら紙に書きだして壁に張るという模索の日々を継続します。
心理学者の河合隼雄、解剖学者の三木成夫、文化人類学者の岩田慶治などなど、様々なジャンルの様々な作家の言葉に出会っていく中で、
「自分の腹の底から響いた」と相良育弥さんの心わしづかみにしたのが宮沢賢治の『農民芸術概論』だったそうです。
ここから農業に対して強い興味を感じるようになり、茅葺職人につながっていきます。
相良育弥の経歴
宮沢賢治の言葉に触発されて百姓になることを決めた第一歩として、本格的に米作りを始めようと考え祖父の田んぼで自給自足を始めます。
ただ初めからうまくいくわけもなく試行錯誤をくり返し、減反で米が作れないといった不運も重なって、なかなか思うような結果が出ないまま、冬の農閑期で迎えてしまいます。
基本的に何もすることがなくなったことから「春まで働くにはちょうどいいや」と、誘われた葺き替えのアルバイトを始めたのが、のちに相良育弥さんにとって大きな転機となります。
もともと1995年の阪神大震災の経験から「家は潰れるとゴミなんや」と感じていた相良育弥さん。
当時は中学3年で自宅で寝ているところに地震に遭い、壁にヒビが入り近くの道路は陥没。
よく遊びに行った神戸の繁華街はビルが倒壊するなど凄惨な光景をを目の当たりにして大工をしながら農家もしている祖父の「生きる力」を再認識していました。
アルバイトで始めたつもりの茅葺の仕事だったはずが、2006年9月に「茅葺き屋根は百姓の業でできている」との言葉を頼りに親方のもとに弟子入りして5年間の修業を経て2011年に独立。
現在は淡河かやぶき屋根保存会くさかんむり代表として茅葺きの素晴らしさや面白さを説明するといった活動も行い、平成27年度神戸市文化奨励賞を受賞するなど国際茅葺き会議で日本代表の一人としても活躍しています。
相良育弥の年収は?
相良育弥さんは民家から文化財まで幅広く茅葺職人として茅葺屋根の替えや、補修の仕事を手掛ける以外にも積極的にワークショップや講演会も行っています。
そんな相良育弥さんの年収ですが茅葺職人は頭領(親方)になると日当は18000円前後と言われているので、
単純計算をすると茅葺職人としての収入はひと月に50万円程度、年間で600万円といったところになるでしょうか。
ここに加えて対外的な活動からの収入も得ていることを考慮すると、相良育弥さんの年収は700万円前後になるのではと考えられます。
相良育弥のツイッターやインスタグラム
相良育弥のインスタグラム
@ikuya_sagara
相良育弥の高校や大学など学歴は?
調査中
相良育弥さんは生まれてから今までずっと地元を出たことがないそうなので、小学校から中学校、高校までずっと神戸市内の学校に通っていたと推測されます。
相良育弥は結婚した嫁は?子供はいる?
相良育弥さんは、収入が安定しにくい茅葺職人という仕事柄、結婚は難しいんじゃないのかな?と個人的に思ってしまったものの、結婚していらっしゃいますね。
祖父からから譲り受けた例の家屋を夫婦二人の自宅にするために改装を行っていることがインスタグラムで報告されています。
インスタグラムを見ていると、相良育弥さんには子供がいることもわかります。
相良育弥の本やテレビ出演歴
相良育弥さんは神戸市内にある美容院の壁を茅葺でデザインしたり、東京の代官山や恵比寿にも茅葺きの技術を使った装飾を施した出入り口や建物外観も手掛けています。