「賽の河原の石積み」とは?
賽の河原の石積みは、何個積んだらゴールなんでしょうか?終わり方は?
賽の河原の石積みの終わり方は何個?場所は?
子供のうちに死んでしまうのは親孝行できなかった者として賽の河原で石積みをするといわれています。
親を悲しませた罰として河原にある石を積み上げ、父母の為の供養塔を立てなければなりません。
積んでいる子供自身の背の高さになればゴールですが、鬼がその石の塔を壊しに来るとされています。
ただお地蔵さんが助けてくれるそうなのでお地蔵さんが助けてくれたらゴールです。
賽の河原の石積みの期間はその子供の罪業によります。
業は身口意の活動によって生じます。
身:身体の行い 身業
口:言葉の行い 語業
意:心の行い 意業
死んでしまったというのは身の業です。
それが両親の悲しみの因となりますから、両親わ悲しませた。という点で悪業になります。
しかし両親を悲しませようという意図を以って死ぬわけではないので、意の業に関しては悪業ではないのです。
一方で、子供に対する残忍なお仕置きというのは、子供の為を思って叱るのとは違いますから、意業も悪業となります
意図せず業を作るのと、制御すべきものを制御せずに業を作るのでは、悪業の重さが違います
しかも子供に対する残忍なお仕置きというのは、身業、語業、意業の三重の悪業になることが多いでしょう
制御すべきものは制御すべきなのです
ですから、死んでしまった子供が作る悪業と、残忍なお仕置きをした大人が作る悪業は、同列では語れないのです
まとめ:賽の河原の石積みの終わり方は何個?場所は?
「両親より先に亡くなる事は罪であり、両親より先に亡くなった子は、親不孝の罪を償わなければならない」 という俗信があります。その罪の償いとして子供たちに課せられているのが、三途の川の河原である 「賽の河原(さいのかわら)」 で石積みの塔を作る事とされています。
この塔は、両親の供養のための塔とされ、石を積んで塔を完成させる事で、その子の罪も許されるといわれているのですが、賽の河原には意地悪な鬼がいて、いくら石を積んでも、折角積み上げた石の塔を壊してしまうので、いつまで経っても塔は完成しません。
そんな時、鬼から子供たちを庇ってくださるのがお地蔵様 (地蔵菩薩) で、お地蔵様のお導きで、子供たちは最終的に救われるとされています。お地蔵様が 「子供の守り神」 といわれるのは、このあたりと関係があるのでしょう。
まずお地蔵さんは全ての衆生を救うと誓いを立てた仏様です。
ですから、どんな悪業を積んだ人のことも、お地蔵さんは助けようとと働いてくださいます。
身代わりになって、悪業の報いを受けてくれたりもします。
お地蔵さんは本当に有難い仏様なんです。
また、仏教には懺悔(さんげ)というものがあります。
作ってしまった悪業は消すことはできませんが、しっかり反省して二度と同じことはしないと心に誓い、二度としないことです。
お釈迦様は「以前には悪い行ないをした人でも、のちに善によってつぐなうならば、その人はこの世の中を照らす。ー雲を離れた月のように。」
『ダンマパダ 173』
とおっしゃっています。
お地蔵さんは確かに救おうと努力はしてくださいますが、過去をなかったことにはできません。
悪業があるなら、それを超える善業を積み重ねること。それが大事です。