坂本敏夫さんは1971年に発覚した大阪大学・大阪市立大学医学部入試問題密売事件は、日本の大学入試史上稀に見る不正事件での刑務官。
この事件では、大阪刑務所で印刷された入試問題が、受刑者によって盗み出され、外部に販売されました。
主犯格の男性が殺害されたことをきっかけに発覚し、刑務所内での試験問題管理のずさんさや、受験生の親など関係者たちのモラルが問われました。
36人の受験者が不正に入学し、多額の金銭が動きましたが坂本敏夫さんの現在は?
坂本敏夫wiki現在|大阪大学・大阪市立大学医学部入試問題密売事件
坂本敏夫さんは大阪大学と大阪市立大学の医学部入試問題が1960年代から1970年代にかけて大阪刑務所内から持ち出され、受験生側に不正に販売されていた事件の当時の刑務官。
元刑務官の坂本敏夫さんはその後、現在に至るまで事件の回顧や刑務所内の実態に関して著書を発表しています。
大阪大学・大阪市立大学医学部入試問題密売事件wiki|経緯
1960年代後半から、大阪刑務所で服役していた複数の受刑者が、入試問題を盗み出す計画を立てました。彼らは、刑務所内の印刷工場で印刷された入試問題を、バレーボールの中に入れて塀の外に投げ出すという方法を用いました。
盗み出された入試問題は、外部の仲介者を通じて、裕福な家庭の受験生に販売されました。受験生たちは、問題と解答を事前に学習することで、不正に入学を果たしました。
この事件では、3年間で合計36人の受験者が不正に入学し、2億3000万円以上の金銭が動いたとされています。これは、当時の大卒初任給の約750倍に相当する巨額の金額です。
大阪大学・大阪市立大学医学部入試問題密売事件wiki|影響と教訓
大阪大学・大阪市立大学医学部入試問題密売事件は、日本の教育界に大きな衝撃を与えました。大学入試の公平性が損なわれただけでなく、刑務所におけるセキュリティの脆弱さも露呈しました。
事件後、大学入試センター試験が導入されるなど、入試制度の改革が進められました。また、刑務所におけるセキュリティ対策も強化されました。
この事件は、入試制度のあり方だけでなく、人間の欲深さや倫理観の欠如についても警鐘を鳴らしています。
受験勉強は努力と忍耐が必要不可欠であり、不正な手段で入学しても、真の学力は身につかないことを肝に銘記する必要があるでしょう。
坂本敏夫の経歴
坂本敏夫さんは、1947年生まれの日本のノンフィクション作家であり、元刑務官です。最終階級は矯正副長でした。熊本県で生まれ、広島県広島基町高等学校を卒業後、法政大学法学部に進学しましたが、中退しています。
坂本さんの父と祖父も刑務官という家系で、刑務所や拘置所の近くにある官舎で育ちました。当初は教師を目指していましたが、父の死去により家計を支えるため、大学を中退して19歳で刑務官になりました。
1967年1月からは大阪刑務所の看守として勤務し始めました。その後、神戸刑務所・大阪刑務所の係長、法務本省事務官、東京矯正管区専門官を歴任し、長野刑務所、東京拘置所、甲府刑務所、黒羽刑務所で課長を務めました。最後は広島拘置所総務部長を務め、1994年3月に退職しています。
刑務官としての経験を生かし、映画『刑務所の中』や『13階段』では、矯正施設関係の助言も行っています。
2010年に東京拘置所死刑場がメディアに公開されたことをきっかけに、ミリオン出版刊の『実録死刑囚』にて死刑反対を表明しました。
また、1923年の関東大震災発生時に横浜刑務所の典獄(刑務所長)を務めていた椎名通蔵に、自身の職業の先輩としての誇りを感じ、椎名の子孫への聞き取り調査を実施しました。そして、その結果を元に自身初の小説『典獄と934人のメロス』を執筆しています。
刑務官退職後はノンフィクション作家として活動し、刑務所に関する著作を多数発表しています。 また、テレビドラマ『モリのアサガオ』や『相棒 Season 9 第15話「もがり笛」』では刑務所監修を務めました。
大阪大学・大阪市立大学医学部入試問題密売事件wiki|似た事件
大阪大学・大阪市立大学医学部入試問題密売事件と類似した事件として、早稲田大学商学部入試問題漏洩事件があります。
この事件は、1980年に早稲田大学商学部の入学試験問題が事前に漏洩し、不正に合格した学生や漏洩に関与した関係者が処分を受けた事件です。
大阪の事件では刑務所内で印刷されていた入試問題が持ち出されましたが、早稲田大学の事件では、大学直営の印刷所に勤める監視役の職員が問題用紙を盗み出すという手口が使われました。
いずれの事件も、大学入試という公正であるべき制度において、不正な利益を得るために関係者が結託し、試験問題が漏洩したという点で共通しています。
また、近年では試験問題の漏洩方法が巧妙化しており、スマートグラスを用いて試験問題を外部に送信する事例も発生しています。
2024年2月には、早稲田大学創造理工学部の入学試験において、受験生がスマートグラスを使用して試験問題を撮影し、SNSで外部に流出させた事件が発生しました。
この事件では、受験生は報酬を目的に、事前にSNSで解答を依頼しており、組織的な犯行である可能性も示唆されています。
これらの事件は、いずれも学歴社会における受験競争の激化や、不正な手段を用いてでも合格を目指すという倫理観の欠如が背景にあると考えられます。
まとめ:坂本敏夫wiki現在|大阪大学・大阪市立大学医学部入試問題密売事件
大阪大学・大阪市立大学医学部入試問題密売事件は、1971年に発覚した、大阪大学医学部と大阪市立大学医学部の入学試験問題が不正に持ち出され、それを利用した受験生がいた事件です。
約3年に渡り行われており、刑務所内で印刷されていた入試問題を、受刑者と刑務官が結託して盗み出していました。
事件の概要
- 1960年代から1970年代、大阪大学医学部と大阪市立大学医学部の入学試験問題は、大阪刑務所で印刷されていました。
- 当時服役していた受刑者の一人が、刑務所内で別の受刑者や看守部長と共謀し、入試問題を盗み出して外部に持ち出し、受験生を持つ裕福な家庭などに販売していました。
- 入試問題の価格は1人あたり800万円から1200万円で、解答グループも結成し、受験生に模範解答を暗記させていました。
- 事件は、主犯格とされる人物が殺害されたことから発覚しました。
事件の詳細
- 当初、外部に持ち出された試験問題は、バレーボールに隠して刑務所外に投げ出されていたと報道されました。
- しかし、実際に刑務所で勤務していた坂本敏夫氏はこの方法を否定しており、看守の協力なしに実行することは不可能だと証言しています。
- その後、刑務所内での関係者による証言などから、看守が贈収賄を受け、受刑者と外部の人間を繋ぐ役割を担っていたことや、受刑者が出所後も刑務所内に侵入して問題を盗み出していたことなどが明らかになりました。
事件の影響
- この事件は社会に大きな衝撃を与え、大学入試の在り方や刑務所の管理体制などについて、大きな議論を巻き起こしました。
- 不正入学した者は大学を自主退学もしくは退学処分となり、実行犯には実刑が下されました。
他の入試問題漏洩事件
大阪大学・大阪市立大学医学部入試問題密売事件以外にも、いくつかの入試問題漏洩事件があります。
- 1980年に発覚した早稲田大学商学部入試問題漏洩事件では、大学職員、元高校教諭、印刷所職員らが結託し、長年に渡って裏口入学の斡旋を行っていました。
- 近年では、試験中に小型カメラやスマートグラスを使用して問題を撮影し、外部に送信するといった、手口の巧妙化もみられます。
これらの事件は、いずれも大学入試の公正さを揺るがすものであり、再発防止に向けた取り組みが求められています。