更家悠介さんは人にも環境にも優しい「ヤシノミ洗剤」でおなじみのサラヤ社長で、創業社長の息子で2代目として活躍をしています。
非上場企業ながらSDGs(サステナビリティ)が注目されるずっと前から環境や人体への配慮に取り組みを重視してきた更家悠介社長のこれまでのプロフィールをまとめています。
更家悠介wikiプロフィール
名前:更家悠介(さらや ゆうすけ)
生年月日 : 1951年5月30日
出身地 : 三重県
出身高校 : 大阪府立天王寺高等学校
大阪大学工学部卒業
カリフォルニア大学バークレー校工学部衛生工学科修士課程修了
1976年1月 サラヤ株式会社入社
1998年2月 サラヤ株式会社代表取締役社長就任(現任)
1998年2月 東京サラヤ株式会社代表取締役社長就任
2004年5月 社団法人関西経済同友会(現一般社団法人関西経済同友会)常任幹事就任(現任)
2012年2月 東京サラヤ株式会社代表取締役会長就任(現任)
更家悠介の経歴
更家悠介さんが代表取締役社長を務めるサラヤは創業者 更家章太さんが1952年(昭和27年)に当時28歳で創業した三恵薬糧が前身となっています。
1952年の日本では高度経済成長期初期でまだ環境対策がほとんど考えられていなかったことから赤痢が流行。
そこで創業者が近畿大学の応用化学部の前身である大阪専門学校を卒業していたことから
サラヤ衛生事業のスタートとなる、緑色の薬用手洗いせっけん液と専用容器を日本で初めて開発、販売。
サラヤの代名詞ともなっている「ヤシノミ洗剤」の製造販売は1971年から。
当時の洗剤は石油系が主流だったので、河川湖沼の水質汚染や泡立ち、酸欠による魚の大量死の問題など生活排水が社会問題になっていました。
さらに洗浄力を高めるためにリンが配合されていて、それが富栄養化も招いていたことから、
石油系ではなくリンもはいっていない、ヤシの実から作った「ヤシノミ洗剤」の小売りをスタートさせていm佐生。
更家悠介社長は1976年にサラヤ入社をしていますが、サラヤ社長に就任する前から、
1986年には大阪青年会議所の会頭として「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」の設立にも深く関わってきたほか、
1989年には日本青年会議所(JC)会頭を務めています。
2014年にあh渋沢栄一賞を受しています。
更家悠介がウガンダ共和国名誉領事に就任
更家悠介社長はウガンダ共和国 サム・カハンバ・クテサ外務大臣よりウガンダ共和国名誉領事に任命されています。
その背景には水道の普及が遅れ、病院ですら満足に水が使えず治療の際に感染症リスクが高かったウガンダへサラヤが消毒液を提供して援助した経緯があります。
水道を完備するには大変な金額が必要ではあるものの水を運ぶよりも、感染症対策には水と同量の消毒液を運んだほうが殺菌効果の点で明らかに有利であり、
さらに日本から運搬するよりも現地で生産することが望ましいということで現地法人「カンパラ」を設立しています。
当時は乳幼児死亡率が世界でトップクラスに高い状況だったウガンダではなんと感染症は「激減」され、
2010年にはウガンダにて日本ユニセフ協会と協働し、子どもたちの命を守る手洗いを普及させる「100万人の手洗いプロジェクト」を開始しています。
大阪維新の会
更家悠介社長は大阪の経済の地盤沈下や、雇用の低迷、文化の沈滞、青少年犯罪の増加などを憂う「大阪維新の会」で会長を務めています。
ちなみに、最高顧問は元・国務大臣経済企画庁長官の堺屋太一さんが務めています。
更家悠介のツイッターやインスタグラム
更家悠介さんはツイッターやインスタグラムにはアカウントを開設していないようです。
更家悠介の高校や大学など学歴は?
更家悠介社長は大阪の名門進学校の一つ 大阪府立天王寺高等学校から大阪大学工学部に進学をしています。
その後はさらにカリフォルニア大学バークレー校工学部衛生工学科修士課程を修了しています。
更家悠介の結婚した嫁は?子供はいる?
調査中
更家悠介さんのプライベートについて調べられる範囲では彼氏に関する情報は一切ありませんでした。
更家悠介の年収は?
更家悠介社長はサラヤ本社社長以外にも岩井コスモホールディングス株式会社取締役も務めています。
複数の会社で社長を務めていることから、どんなに少なく見積もっても年収は2000万円以上、おそらくは4000万円~5000万円クラスの年収を得ているのではとみられます。