サルー・ブライリー(Saroo Brierley)は5歳の時にインドで兄とはぐれ、その後はオーストラリア人夫婦の養子縁組となります。
その25年後には、グーグルストリートビュー(正確にはグーグルアース)で生き別れた家族との再会を果たしたサルー・ブライリーについて。
サルー・ブライリーは5歳でインドの兄・家族と生き別れ
インドで生まれ育ったサルー・ブライリー(Saroo Brierley)は幼くして父親が家族を捨て出て行ってしまい、母親と兄弟3人の5人家族。
母親のファティマは家族を養うために建設労働者として働いていたが、彼と3人の兄妹グドゥ、カルー、シャキラを育てるための十分なお金を稼ぐことはできなかった。
5歳になった彼は、兄のグドゥとカルーと一緒にお金と食べ物を乞うようになりました。
ある日、2人の兄と一緒に自宅の村から少し離れた駅へ物乞いに出かけたが、停車していた列車のなかで眠っているあいだに列車が発車。
そのままカンドワから南に約70 km離れたブルハンプルを計y水、家から1500キロ離れたコルカタの駅まで連れていかれてしまいます。
わずか5歳のサルー・ブライリーには帰り道や住所がわかるはずもなく、別れたも兄・グドゥがその夜、対向列車にはねられて死亡したこともサルーは当然、知る由もありませんでした。
孤児となったサルーはコルカタで3週間もストリートチルドレンとなっていたところを保護されるとインドの養子縁組協会に移されます。
スタッフが彼の家族の居場所を探そうとしますがサルー・ブライリーの身元を特定できるだけの情報が得られないことから、オーストラリア人家族・ブライリー家に引き取られ、オーストラリアのタスマニア州ホバートで養子縁組で育てられます。
養父母はジョンとスーブライアリーです。
そして25年の歳月が流れます。
新しい両親のもと幸せに育ったサルーですが、インドに住む家族のことは片時も忘れませんでした。
おぼろげな記憶を頼りに当時、新しく開発されたGoogle Earth(ストリートビュー)でコルカタの駅から出ている鉄道路線をひとつひとつ調べ始めます。
生まれ育った家と近所の風景、そして母親との断片的な思い出。それだけの手がかりで故郷の場所を特定するのは到底不可能に思われましたがサルー・ブライリーはあきらめませんでした。
2011年に最初に列車に乗り込んだ駅をようやく特定。
幼いころの記憶と一致する場所をついに見つけるとインドの地元のFacebookグループの助けを借りて生まれ育った家を見つけ、ついに故郷で母と兄妹との再会を果たすのでした。
サルー・ブライアリーの現在は?結婚は?
名前;サルー・ブライアリー(Saroo Brierley)
本名:シェル・ムンシ・カーン(Sheru Munshi Khan)
生年月日:1981年5月22日
年齢:41歳
出身地:インド(マディヤ・プラデーシュ州)
インド生まれのオーストラリア人ビジネスマン兼作家
出身地はマディヤ・プラデーシュ州カンドワ郊外のガネーシャ・タライ。
5歳のときに誤ってインドで実の家族と生き別れた後、オーストラリア人の夫婦の養子となったものの25年後にグーグルアースで故郷を見つけ実の母親と再会しました。
キャンベラのオーストラリア国際ホテル学校でビジネスとホスピタリティを学んだサルーはオーストラリアで事業を起こしインドの母親に家を買ってあげるまでに成功を収めているようです。
2013年には著書「A Long Way Home(Penguin Australia)」を出版し、5歳で行方不明になったこと、オーストラリアの家族に養子縁組されたこと、そして彼のインドの家族を探した半生を綴っています。
父親が家族を捨てて別の女性と結婚したため、サルーの子供時代はとても不穏なものでしたが、2019年4月には幼い頃に亡くなった父親とその家族を捜索していると発表しています。
サルー・ブライアリー自身はまだ結婚はしていないようです。