セツルメントがNHK朝ドラ「マー姉ちゃん」で取り上げられ話題となりました。
日本の戦後の歴史においてセツルメントは子供の貧困問題を改善する重要な役割をになってきました。
セツルメント(マー姉ちゃん)とは?サザエさんで戦後の歴史
<セツルメントの発生>
19世紀後半イギリスで産業革命の中、労働者の貧困が激しくなってきました。それに対して労働者による社会運動が活発になり、このような運動に刺激された知識人によって、労働者教育が始められました。これがセツルメントの発生です。セツルメントの本質的な始まりは、ケンブリッジ大学教授ジェームズ・スチュワートが1867年にマンチェスター、リヴァプールなどの家庭教師、学校教師になりたいと思っている婦人に毎週一回講義をして、それに大学ぐるみで賛同したものです。また、経済学者トインビーは、労働者を組織している消費組合を援助したり、労働者街で経済学を教えたりしました。その後、このような人々の意思を継ぐため、各大学は寄付金をつのり、トインビーホールを初めとするセツルメント会館を設立し、貧民街改善、貧民街教育に力を注いで来ました
<日本におけるセツルメント>
日本におけるセツルメント運動は、トインビーホールを見学してきた片山潜によって、1897年の夏、東京神田三崎町に「キングスレー館」として開始されました。彼はその中で、幼稚園の設立、渡米案内、労働者教育等々の事業をやり、当時の日本としては進歩的自由主義者、キリスト教自由主義者とならんで、社会運動の一翼をにない、貢献したのでした。
引用:https://ha8.seikyou.ne.jp/home/shm/settle/historytext.html
セツルメントの創始者とされるアーノルド・トインビーとは、イギリスの経済学者で「産業革命」を学術用語として広めた歴史家
世界最初のセツルメント「トインビー・ホール」を興したセツルメント運動の発起人の1人で「セツルメントの父」とも呼ばれていますが31歳の若さで亡くなっています。
トインビーホールは宗教家や社会福祉事業者がスラム街・工業街などに住み込み住民の生活を援助するセツルメント運動に身を投じたトインビーの遺志を受け継いだS.バーネットらによって、1884年、ロンドン郊外のイースト・エンドに建てられました。
このトインビーホールが世界初のセツルメント施設・診療所とされます。