宮城県にあるという
死人沢(しびとざわ)
鬼首(おにこうべ)
といった地名の由来は?場所はどこ?
鬼首の地名の意味・由来は?場所は?
鬼首(おにこうべ)の場所は宮城県大崎市鳴子温泉郷の奥にある美しい大自然の中の温泉郷
鬼首という地名の由来は、今から1200年程前、坂上田村麿が東征の際、賊の首領「大武丸」を山中で征伐しこの地でその首をはねた。
当時「大武丸」を鬼と呼んでいたので、地名を「鬼切部」と称していたのがいつの頃からか「鬼首」と云うようになった。
延喜年間の延喜式神名帳によると、鬼首温泉に温泉神社があったことから開湯はそれ以前と考えられる。鬼首の地名の由来は坂上田村麻呂によるとされる。
昔は地獄地帯の高温泉は地元の人達が調理に使っていたという。
江戸時代には湯治場として栄え、江戸時代中期までは鳴子の地域で一番栄えた湯治場であったという。
昭和35年10月1日、奥鳴子・川渡温泉として、川渡温泉、中山平温泉とともに国民保養温泉地に指定。
死人沢の地名の意味・由来は?場所は?
死人沢の場所は住所だと
宮城県加美郡加美町宮崎
中山平温泉駅から直線距離で4850m
死人沢の地名の由来は、旅の僧侶が焼け火箸でめった刺しにして殺され、顔の皮を剥がれて捨てられたことから。
昔々、久保屋敷に怠け者で性悪で、貧困で人の交際もなく、 淋しく暮らす農家がいた。 ある年の秋、一人の僧(ろくぶ)が托鉢して村をまわった後、一夜の宿をその農家の家に求めた。
その後、村人は憎が村から出て行った姿を見たものがいないと噂しあった。後に、火打山の沢に死体があることがわかり、村役人より片付けを命じられた村の当番達が死体を取り調べたところ、僧が焼火箸で刺し殺され、小松沢の奥でだれとも面相の判らないように、面の皮を剥ぎ、隣の沢に棄てたのだろうということになった。
一方の剥がした顔が捨てられていた場所を面剥沢といい、遺体を棄てた沢を死人沢と呼ぶようになったといわれる
また、死人沢という地名は、加美町田代高原付近にも存在する。地名研究者の太宰幸子は、『みやぎ地名の旅』において、こうした地名の場所では、かつて、そこで製鉄などが行われており、事故や鉱毒災害などによる被害からそう呼ばれるようになった可能性を指摘している