映画「シンゴジラ」で最後の尻尾の意味は?あのラストシーンにはどういった意味があるのでしょうか?
シン・ゴジラの最後に出てくるゴジラの尻尾の先に、なぜ人間が埋もれていたんでしょうか?
シンゴジラ最後の尻尾の意味は?なぜ人型・人間の顔の目・口?
映画「シンゴジラ」で最後の尻尾の意味については
単為生殖からの分裂(人型への進化)
ゴジラに取り込まれた人間
といった解釈が考察されています。
他にも、人間が環境破壊の元凶、人間こそが怪物であるという暗喩という考察もみられます。
シンゴジラの尻尾の意味1:単為生殖からの分裂(人型への進化)
シンゴジラでのゴジラは自分の身に危険が訪れるとそれに対抗する為に急速に進化をします。
途中で非行物体にレーザーを放つようになったのも、戦闘機の攻撃から身を守るためです。
最後のシーンで尻尾から人型の生き物が出てきているのは、人類が自分に対して敵意をもって攻撃してくるのに脅威を抱き、自らが人の形に進化して対抗しようとしたのでしょう。
ヤシオリ作戦での凍結の方が一足早かったため、その進化の途中で凍結したということですね。
凍結がもうちょっと遅れていたら、尻尾から産まれた無数の人型ゴジラが世界にばら蒔かれ他のかもしれません。
ヒトの形をしているのは、プレジャーボートから身を投じた牧元教授、及び捜索した海上保安庁の隊員を捕食しDNAを取り込んだから、という説があります。実際によく見るとヒト型のゴジラに埋もれて巨大な人間の歯並びのようなものが確認できます。
シンゴジラの尻尾の意味2:ゴジラに取り込まれた人間
平成シリーズの中にはゴジラは人間の怨念の集合体という解釈のものもありました。
無誘導爆弾では傷一つ付けられなかったゴジラから自然に肉片が剥離したシーンがある事を踏まえて素直に解釈するなら、単為生殖からの人型の群体への進化でしょう。
「シンゴジラ」を含め「シン○○」シリーズの「シン」の意味のように庵野作品には様々に解釈できる要素を盛り込みつつ正解は公式には明かさず視聴者に委ねるものが多いので、監督の意図としては特に固まったものはないと思います。
まとめ:シンゴジラ最後の尻尾の意味は?なぜ人型・人間の顔の目・口?
映画「シンゴジラ」で最後の尻尾に人間の姿が見える意味について、シンゴジラは任意に進化できるようで、単体で巨大なことより、人間大の集団である方が有利と見たようです。
最後のヤシオリ作戦はゴジラの体内原子炉の冷却システムを麻痺させる薬を飲ませて、ゴジラにメルトダウンによる自殺か自己凍結による休眠かの二択を強いるというもの。
「ヤシオリ」とは、日本神話においてスサノオがヤマタノオロチに飲ませた酒の名です。
スサノオは、ヤマタノオロチを退治した後、尻尾に何かあるのに気付き、そこから後に三種の神器の一つになる「草薙剣」を見付けました。
シン・ゴジラの物語がこの神話をなぞらえているから、尻尾から大切なものが見付かったのだと思います。
しかし、ゴジラは第三の選択をやりかけていたんですね。飲まされた薬の影響から逃れるために小型の分身を大量に生産し各地に飛散させ、その先で再度成長する、という選択を。尻尾のアレは作りかけの分身体です。
ちなみに正式には「シンゴジラ第五形態」という名称のようです。
・第一形態→アクアラインに現れたシッポ
・第二形態→蒲田にビチビチと上陸進行した奴
・第三形態→第二形態が二足歩行化した奴
・第四形態→第三形態が海に戻った後、鎌倉に再上陸した奴(所謂ゴジラ型)
と、シンゴジラは最初から進化を続けており、それまでの巨大な単体から人間型の複数体に分裂(増殖)しようとしていた(これが第五形態)寸前のところを巨災対のヤシオリ作戦で阻止した。
もしくはヤシオリ作戦後もゴジラの生命力は尽きておらず、今なお時間をかけて第五形態になろうとしている。という解釈がファンの間ではされています
参考:シンゴジラ最後の尻尾の意味は?
初期ゴジラは原爆で生まれた悲劇の怪獣であると同時に、第二次世界大戦で命を落とした方々の英霊であり、戦後10年の間に変わり果てた日本人への怒り悲しみその他の複雑極まる感情から東京を襲うとのコンセプトだったようです。
牧教授が研究していたという『放射能の無効化と新たな原子』。
その博士が存在を予見していたゴジラが体内に宿す『未発見の新たな原子』。
その原子は極端に半減期が短く汚染してもすぐに『浄化』される。
それを知っていたかのような『好きにやれ』という教授の言葉。
帰国した直後に東京湾へ向かい遺書と共に姿を消した牧教授と、『同じ現場から登場する』ゴジラ。
ゴジラの誕生に教授が関わっていたのであれば、東京を襲うのも教授の意思なのかも知れません。日本への復讐という。