進藤亮佑はコンサドーレ札幌を経てセレッソ大阪でプレーするサッカー選手。
札幌市出身で日本代表にも選出されている進藤亮佑選手の気になるプロフィールをまとめています。
進藤亮佑のプレースタイル
進藤亮佑のポジションはDFで周戦場はCBですが、SBでも高いパフォーマンスを発揮できるポリバレントな選手。
DF登録ながら2018年は4点、2019年には6点ゴールを決めているように隙あらばどんどんオーバーラップして攻撃参加するタイプでJ1屈指の得点力を持つディフェンダーです。
進藤亮佑の年俸・背番号
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進藤亮佑の成績・戦績
シーズン | カテゴリー | チーム | 出場 | 先発 | 途中出場 | 出場時間 | ゴール | シュート | 成功率 | アシスト | 警告 | 退場 |
2015 | J3 | J-22 | 14 | 13 | 1 | 1184 | 2 | 10 | 20.00% | 0 | 1 | 0 |
2016 | J2 | 札幌 | 23 | 21 | 2 | 1930 | 0 | 9 | 0.00% | 1 | 2 | 0 |
2017 | J1 | 札幌 | 8 | 3 | 5 | 381 | 0 | 1 | 0.00% | 0 | 0 | 0 |
2018 | J1 | 札幌 | 34 | 34 | 0 | 3060 | 4 | 33 | 12.10% | 1 | 2 | 0 |
2019 | J1 | 札幌 | 33 | 33 | 0 | 2970 | 6 | 27 | 22.20% | 2 | 3 | 0 |
2020 | J1 | 札幌 | 21 | 18 | 3 | 1491 | 0 | 16 | 0.00% | 1 | 2 | 0 |
2021 | J1 | C大阪 | 9 | 7 | 2 | 674 | 2 | 5 | 40.00% | 0 | 0 | 0 |
2022 | J1 | C大阪 | 7 | 3 | 4 | 364 | 2 | 2 | 100.00% | 0 | 0 | 0 |
2023 | J1 | C大阪 | 5 | 0 | 5 | 36 | 0 | 1 | 0.00% | 0 | 0 | 0 |
進藤亮佑wikiプロフィール
名前:進藤亮佑
生年月日:1996年6月7日
年齢:26歳
出身地:北海道札幌市
身長:183cm
体重:74kg
利き足:右足
ポジション:DF
在籍チーム:セレッソ大阪
背番号:3
小学校:札幌市立南郷小学校
出身中学:札幌市立白石中学校
出身高校:北海道札幌白石高等学校
進藤亮佑の経歴
2012年にコンサドーレ札幌U-18に入る。
2014年10月31日にトップチームへの昇格が発表されるとU-18Jリーグ選抜に選出。
2015年にコンサドーレ札幌のトップチームに入団した。
2017年は8試合の出場にとどまったが、翌2018年は監督のミハイロ・ペトロヴィッチにその才能を見出され、3バックの右に定着。プロ4年目で初のリーグ戦全試合フル出場を果たした
2018シーズンの開幕から2019年9月まで61試合連続フル出場という、クラブ最多の新記録を樹立しています。
2020年、田中駿汰とのポジション争いが激化して出場試合数が減った上、10月に右足首の靱帯を負傷。
2021年シーズンよりセレッソ大阪でプレーすることが発表された
2022年、開幕先発を掴み、チームのシーズン第1号を記録。その後は、厚い選手層に阻まれ出場機会が少ない
■チーム経歴
SSS札幌-SSSJrユース-コンサドーレ札幌U-18-北海道コンサドーレ札幌
■代表歴
▼2019年~:日本代表
▼2014年:U-19日本代表
└ベトナム遠征(9月)
▼2014年:U-18日本代表
└ロシア遠征(1月)
▼2013年:U-17日本代表
└チェコ遠征(8月)
進藤亮佑のツイッターやインスタグラム
進藤亮佑のツイッター
@c_shindo
進藤亮佑のインスタグラム
@r.shindo_official
進藤亮佑のフェイスブック
進藤亮佑の高校や中学は?
進藤亮佑さんの通っていた高校・大学は次のとおりです。
小学校:札幌市立南郷小学校
出身中学:札幌市立白石中学校
出身高校:北海道札幌白石高等学校
進藤亮佑の身長・体重は?
進藤亮佑選手の身長体重は次のとおりです。
身長:183cm
体重:74kg
進藤亮佑の彼女・結婚は?
調査中
進藤亮佑選手のプライベートについてネットメディアやSNSなど調べられる範囲では結婚していることを確認できるような情報は掴めませんでした。
北海道札幌市白石区出身の進藤亮佑選手は、現在セレッソ大阪に所属するDFであり、日本代表の元選手でもある。1996年6月7日生まれで、2012年にコンサドーレ札幌U-18に入団し、2015年に同チームのトップチームに昇格した。
2017年は8試合の出場にとどまったが、翌2018年にはミハイロ・ペトロヴィッチ監督によって3バックの右に定着し、プロ4年目で初のリーグ戦全試合フル出場を果たした。2019年5月4日のヴィッセル神戸戦では美しいバイシクル・キックで得点を決め、直近4試合で3得点という活躍を見せた。この試合での得点はチーム内では令和最初のゴールとなり、先の4月28日にも平成最後のゴールも決めていたため、両方記録した選手として話題になった。
同年の11月6日には、国際親善試合のベネズエラ戦に初選出され、日本代表デビューを果たした。2020年には田中駿汰とのポジション争いが激化して出場試合数が減少し、10月には右足首の靱帯を負傷した。
2021年シーズンからはセレッソ大阪に移籍し、右足関節後方インピンジメント症候群の手術を受けた。2022年シーズンは開幕戦から先発出場を果たし、チームのシーズン第1号を記録した。その後は厚い選手層に阻まれ出場機会が少なかったが、リーグカップ湘南ベルマーレ戦では、練習でもやったことがなかった左サイドバックに守備固めで投入され、無失点勝利に貢献した。また、北國新聞・北國銀行ドリームマッチでは先発出場し、5点目を決めて勝利に貢献し、チームのシーズン第1号と最終号を記録した。