カンブリア宮殿ではアウトドア用品のブランドとして有名なロゴスの柴田茂樹社長が登場!
ロゴスってなんとなく海外のメーカーなのかと思ったら、
実は国内メーカーだったんですね。汗
ちなみにロゴスとは違って高価格帯のアウトドア用品のスノーピークも、
海外ではなくて国内ブランドです。
柴田茂樹(ロゴス社長)wiki経歴は?出身大学や学歴は?
- 生年月日:1965年
- 出身地:大阪府大阪市
- 学歴:同志社大学(最終学歴)
大学卒業後は違うスポーツ卸会社に入社し、そのご、
ロゴスコーポレーションの前身となる大三商事に1982年入社。
1998年にはロゴスコーポレーション代表取締役社長に就任していますが、
柴田茂樹社長は社長就任前から辣腕を振るっています。
ロゴスコーポレーションの前身となる大三商事とはもともと、
柴田茂樹社長の祖父が1928年に創業した船舶商品の卸問屋でした。
柴田茂樹社長が入社した当時も船舶商品卸が主力事業だったようですが、
造船不況で会社はいつ潰れてもおかしくない倒産寸前の危機に瀕していました。
そこで「水はもうあかん。丘に上がろうと!」と柴田茂樹社長が大きく舵を切ります。
70年代から80年代にかけて登山ブームだったことから、
1985年にロゴスブランドによるアウトドア用品の本格展開をスタート。
おそらくは最初に入社した会社の知識や経験に基づいた戦略だったと思われます。
登山用品はもともと値段が高い傾向があり、
格的なテントともなると安いものでも4万円以上と決して安くはありません。
柴田茂樹社長そこでライバル商品の半額以下の1万9800円で発売。
さらに今までテントを組み立てたりキャンプ経験がない初心者でも
短時間で簡単に立てられるようにと、作りもシンプルにしたところ、
ファミリー層に受けてロゴスのテントは爆発的なヒットを飛ばして知名度を獲得。
ちなみに、私たちがバーベキューをするときには網目の細かい網を使うのが常識というか、
網目の大きな網なんて見る機会はほとんどないものの、
実はバーベキュー用に網目の細かい網を使い始めたのもロゴスが最初です。
こうしたヒット商品を受けて、1997年に会社名を株式会社ロゴスコーポレーションに変更し、
翌年の1998年には柴田茂樹さんが代表取締役社長に就任します。
ロゴスのブランドコンセプトは「5m/800m」理論
ロゴスでは、低価格~中価格帯のアウトドア用品や、
ファミリーキャンプ用品を中心に展開しています。
逆に言うとプロフェッショナルには物足りないスペックとなっているため、
そこで、
- 海は5m沖までのマリンスポーツ
- 陸は標高800mまでの登山(キャンプ)
といった感じで、誰もが気軽に楽しめる範囲のアウトドアをサポートする「5m/800m」理論を打ち出しています。
低登山のトレッキング、キャンプ、バーベキューなどを得意とした幅広いジャンルを網羅しています。
ロゴスのブランドコンセプトを維持するために、
最初に電話を受けたスタッフが解決まで責任を持ちます。
直営店の接客では「60秒ルール」
誰もが自発的に問題解決のために行動しサポート(バックアップ)する耐性
直営店の様子を24時間カメラモニターを見ながら指示
などなど、柴田茂樹が率先して社内整備にあたっています。
柴田茂樹ロゴス社長の受賞歴
2016年 知財功労賞 経済産業表彰 (アウトドア業界初)
柴田茂樹社長ではなくて会社が受賞したものには、
2011年グッドデザイン賞受賞・アウトドアブランド同時最多受賞
2015年一般社団法人 日本経済団体連合会(経団連)入会(アウトドア業界初)
といった受賞歴があります。
2011年グッドデザイン賞では、
「デカゴンリンクシステム」
「Qセットタープシリーズ」
「クールヒップボトル」
「ノルダーカーボンシリーズ」
という現在のロゴスでも売れ筋のテントがラインナップしています。
柴田茂樹ロゴス社長の息子(柴田晋吾)はダウンタウン元マネージャー!
柴田茂樹ロゴス社長について調べてみると、
息子であり副社長の柴田晋吾さんがちょっと変わった経歴だということがわかりました。
柴田茂樹社長と同様に大学を卒業してすぐにロゴスに入社したわけではなく、
同志社大学を卒業したら吉本興業株式会社に入社し、ダウンタウン浜田雅功さん、
東野幸治さんなどなどのマネージャーを務めていた経験があります。
吉本興業に入社をしたのは、もともとダウンタウン浜田雅功さんと親交があったようで、
誘われる形で入社をしたようです。
ただ、柴田晋吾さんは単なるマネージャーとしての仕事をするだけじゃなくて、
お笑い芸人初となる全国Zeppツアーで累計2万人を動員した
「LICENSE vol.Zepp ENJOY!!」を企画・プロデュースした手腕があり、
満を持してロゴスに入社しています。