スティーブン・ラッセル(steven russell)とは、4度の脱獄歴から脱獄キング (King of Cons) 、フーディーニ(脱出術を得意とする奇術師)と称された人物。
IQは163もあるそうですが学歴詐称でNAMM(北米医療管理法人)のCFO(最高財務責任者)となり、80万ドルを着服するなど複数の詐欺で逮捕されていました。
スティーブン・ラッセルの脱獄は映画『I Love You Phillip Morris(邦題:フィリップ、きみを愛してる!)』のモデルともなりました。
■映画『I Love You Phillip Morris(邦題:フィリップ、きみを愛してる!)』概要
主演はジム・キャリーとユアン・マクレガー。製作総指揮はリュック・ベッソン。第62回カンヌ国際映画祭監督週間部門、第25回サンダンス映画祭プレミア部門作品。
スティーブン・ラッセルの脱獄までの生い立ち
名前:スティーブン・ラッセル(steven russell)
生年月日:1957年9月14日
出身地:アメリカ・バージニア州
スティーブン・ラッセルは物心ついた時にはすでに両親は離婚し、母親に女手一つで育てられました。
しかし母子家庭ということもあり経済的な理由から、大手食品生産会社の夫婦の元に養子に出されます。
その後成長してからは、実の母親を見つけるために警察官になると、副警察官の頃に結婚。ステファニーという娘もいました。
脱獄王とは無縁な順風満帆な生活をしていますよね。
そんな中、警察官ということもありスティーブンラッセルはアメリカの犯罪データベースを利用し、実の母親を探していました。
調査を続けた結果、母親を見つけることが出来たのですが、ここからスティーブンラッセルの人生が狂い始めます。
やっとの思いで母親を見つけたと思ったら母は、実の父とよりを戻して再婚していたことが判明。
2人の間には、スティーブンの兄弟になる子供が3人も生まれていました。
両親そろって住んでいて、新しい兄弟もいた事実にスティーブン・ラッセルは当然、「自分だけが拒絶された」と感じたスティーブンは、目的を失い警察官を辞めてしまいます。
妻と娘を連れてテキサスへ引っ越すすと食品会社(Sysco)に就職し、実の母親のことは忘れて家族との幸せな生活を再スタートさせます。
ところがある夜、自動車事故に遭って重傷を負い命を失いかけたスティーブン・ラッセルは心機一転、自分に正直に生きることを決意する。
妻と娘にゲイであることをカミングアウトするとそのまま家を出て男性の恋人・ジミー・キャンベルと暮らし始めます。
しかし、当時はまだLGBTに対する理解がアメリカでも定着していなかった時代。
スティーブン・ラッセルはIQ163という頭脳明晰で企業の役員として働いていたものの、ゲイとわかると解雇されてしまいました。
さらに同性愛者の恋人がエイズにかかり、その治療費と生活費に困り果て、とうとう詐欺に手を染めてしまいます。
その手口は、警察官時代に実の母親を探す過程でアメリカの犯罪データベースに自在に侵入できるようになっていたことを利用したものでした。
そして、刑務所で出会ったフィリップ・モリスと恋に落ちてしまうのでした。
クレジットカード詐欺や高級腕時計の窃盗&転売、大手企業に潜り込んで億単位の巨額を横領などなど自身の釈放後も、フィリップを幸せにしたい一心で、内緒で詐欺を繰り返してしまい、捕まってしまいます。
そして、スティーブンは、フィリップに会いたいがために13日の金曜日に脱獄を繰り返すのです。
13日の金曜日は、フィリップの誕生日です。
スティーブン・ラッセルの脱獄1回目の手口は?
1992年の最初の脱獄の動機は、ラッセルの恋人で、間もなくエイズで死のうとしていたジミー・キャンベルに会いに行くことが目的でした。
女装して脱獄、
毎日看守の動きを観察し、看守がタバコを吸いに行くとき警備が手薄になること。無線機を持っていると刑務所の出入り口を開けてくれるということを発見。
事前に女性ものの服を入手していたスティーブンラッセルは、看守がタバコを吸いに行ったタイミングで無線機を盗み、堂々と正面切って脱獄を果たしました。
恋人の世話をしながら約2年間の逃亡生活を送った後、ラッセルは再び逮捕された。この出来事から数週間後、ジミー・キャンベルは亡くなりました。
スティーブン・ラッセルの脱獄2回目の手口は?
刑務所に戻った後、新たにフィリップ・モリスという男性に好意を抱き恋に落ちます。
約2年後、フィリップ・モリスと共に仮出所をするとスティーブンラッセルは医療コンサルタントとしてNAMM(North American Medical Management)に最高財務責任者として就職し、80万ドル以上を盗み出した。
前科者なので、普通の方法では無理ですが架空の会社の求人広告を新聞に掲載し沢山の履歴書から自分の履歴書を作成し大企業に入社をしたのです。
経理部門責任者の仕事を得たことを利用して横領した多額の会社のお金でフィリップ・モリスと二人で豪邸に住んでいたそうですよ。
しかし当然のようにバレてしまい再び逮捕されます。
フィリップも共犯扱いをされ逮捕されましたが、保釈金はフィリップが4万ドル。
スティーブンラッセルは90万ドル。
再び刑務所に入ったスティーブン・ラッセルは、フィリップの保釈金は払ったものの自身の90万ドルは流石に払えないと思い、偽の保釈指示書作りを考えます。
ハリス郡記録事務所に電話をかけ、判事のふりをして保釈金を当初の90万ドルから4万5千ドルに設定。
友人たちが出してくれたお金で保釈金を払い出所(脱獄)しますが、すぐに書類の偽造が発覚しまたしても逮捕。懲役は45年と言い渡されました。
スティーブンが懲役45年の判決で収監されたのがエステル・ユニット刑務所
スティーブン・ラッセルの脱獄3回目の手口は?
脱獄の常習犯として目を付けられたスティーブンラッセルはセキュリティーの厳しい刑務所に入れられます。
しかし恋人に会いたいがため脱獄の方法を毎日考え続け、看守の動きを観察していました。
何度か騒動を起こし看守たちが集まる時間を並外れた観察で計測。刑務所内の動きをくまなくチェックし続け脱獄トリックを思いつきます。
刑務所に自由に出入りしている緑の制服を着た医療スタッフに目をつけたスティーブン・ラッセルは、
刑務所内で開かれている美術講座にも入会すると緑が多い自然系の絵ばかりを書き続け、その間に緑のペンを少しずつ集めていきました。
その集めた緑のペンのインクで予備の白い囚人服をトイレで緑に染めて医療スタッフと同じような服を作り上げたのです。
その服を着て医療スタッフに扮し堂々と脱獄に成功。そのまま恋人フィリップの元へ。
1998年3月20日、ラッセルはバージニア州の大富豪を装い、ダラスのネイションズバンクからの7万5千ドルの融資を正当化しようとしました。
銀行関係者が不審に思い、警察に通報したところ、ラッセルは心臓発作を装って病院に搬送されました。
ラッセルは警備員として監視されていましたが、FBI捜査官になりすまし、携帯電話で病院に電話して退院できることを伝えました
その後、米国連邦保安局はフロリダでラッセルを追跡し、1998年4月5日にファックスを取りに行ったラッセルを逮捕しました。
フィリップも逮捕され2人は別々の刑務所に収監されることになりました。
スティーブン・ラッセルの脱獄4回目の手口は?
HIV患者のフリをするために10か月間ほとんど食事をとらず体重を大幅に減らし、下剤を使うなどしてエイズの症状を偽装。
刑務所のタイプライターを使って、自分がHIV陽性であることを示す偽の医療記録を作成し、病院に入院できるようにした後はまた違う、HIV感染者の治験を受けてくれる病院を探します。
そして両方の病院の担当者を偽り、自分のために偽の死亡証明書を作成し死ぬために特別養護老人ホームに移され、その移送中に抜け出し両方の病院に死亡情報を流しました。
病人のフリをして病院に搬送される途中に脱獄、脱獄に成功した後は、弁護士ライセンスを偽装して弁護士としてフィリップを助けるため収監されている刑務所に向かったのです。
しかし、弁護士ライセンスの偽造がバレて、またしても逮捕されました。
スティーブン・ラッセルの現在は?
天才脱獄王・スティーブン・ラッセルはポランスキー刑務所に収容されています。
ラッセルは合計144年の禁固刑(逃亡罪99年、その後の詐欺罪45年)を言い渡されました。
ラッセルは23時間の監禁生活を送っており、シャワーや運動をする自由時間は1日1時間しかありません。
最高刑期は2113年3月13日で、2020年12月15日から仮釈放の資格を得られることになっています。
1998年の4回目の脱獄以来、脱獄していないのは、警備が厳しくて不可能になったからではなく今までとは違った心境になったこと。
娘のステファニーが1999年に訪ねてきて、脱獄行為を繰り返すのを止めるように伝えたからでした。
また、現在、フィリップ・モリスとは、2010年12月以降、一切連絡を取っていません。