「すなる」の意味は?
紀貫之の土佐日記の書き出し「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」の「すなる」は動詞?
「すなる」の意味は?品詞は動詞?紀貫之の土佐日記「男もすなる日記といふもの」
紀貫之の土佐日記の書き出し「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」の「すなる」とは動詞+助動詞です。
この「すなる」と「するなり」は、助動詞「なり」の識別の例としてよく挙げられます。
「す」はサ変動詞「す」の終止形です。
「終止形+なり」の形なら、この「なり」は「伝聞」の助動詞です。
なので、「すなる」の訳は「するという、すると聞いている」となります。
「する」はサ変動詞「す」の連体形です。
「連体形+なり」の形なら、この「なり」は「断定」の助動詞です。
なので、「するなり」の訳は「するのだ」となります。
全体を訳してみると、
「男がするという日記というものを、女の私もしてみようと思ってするのだ。」となります。
紀貫之の土佐日記とは?「男もすなる日記といふもの」
紀貫之の『土佐日記』は、平安時代の934年頃に成立した日記文学です。紀貫之は『古今和歌集』の撰者であり、仮名序の筆者でもあります。『土佐日記』は、紀貫之が土佐国から京への帰途に記した日記で、その中で彼は、旅の途中で起こった出来事や、当時の人々の生活ぶりなどを、当時の文語である仮名で記しています。『土佐日記』は、日本文学史上、おそらく初めての日記文学であり、その後の仮名による表現、特に女流文学の発達に大きな影響を与えました。『土佐日記』は、紀貫之の優れた文才が存分に活かされた作品であり、当時の人々の生活ぶりを知る上で貴重な資料となっています。
『土佐日記』の文学史的価値は、大きく分けて以下の3つです。
日本語の文体を確立した。
女流文学の発展に影響を与えた。
当時の人々の生活ぶりを記録した。
『土佐日記』は、当時の文語である仮名で記された最初の作品であり、その優れた文体は、その後の仮名文学に大きな影響を与えました。特に、紀貫之は、和歌を日記の中に織り交ぜる手法を確立したことで知られています。この手法は、その後の女流文学に大きな影響を与え、紫式部の『源氏物語』など、多くの優れた作品を生み出すことになります。
『土佐日記』は、当時の人々の生活ぶりを記録した貴重な資料でもあります。紀貫之は、旅の途中で起こった出来事や、当時の人々の生活ぶりなどを、細かく記しています。これらの記述は、当時の社会や文化を知る上で貴重な資料となっています。
『土佐日記』は、紀貫之の優れた文才が存分に活かされた作品であり、当時の人々の生活ぶりを知る上で貴重な資料となっています。
まとめ:「すなる」の意味は?品詞は動詞?紀貫之の土佐日記
土佐日記の書き出し「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」の「すなる」は、動詞「す」の未然形「す」に、接尾語「なる」が付いた形です。この「なる」は、伝聞の助動詞です。つまり、「男も日記を書くものだ、女もやってみようと思う」という意味になります。
、第一学習社の教科書の指導書には、「男も」の「も」は「強調」、「女も」の「も」は「並列」と解説されています。
この書き出しは、当時、日記を書くことは男性の役割と考えられていた時代に、女性である紀貫之が日記を書くことに挑戦したことを宣言しています。この書き出しは、女性の社会進出の象徴として、後世に大きな影響を与えました。
文学史的にいうと、日記文学は「土佐日記」から始まります。その他の女流日記文学は、「土佐日記」に追随したものです。
それまでの日記は、男性が漢文で書いていました。仮名は女手(女文字)と呼ばれ、男が仮名を使って日記を書くことはあり得ませんでした。男性の書いた日記は公的で、なおかつ備忘録的なものでした。
貫之は、男なので日記を漢文で書くことは知っていました。わざと、女文字である仮名を使って、文芸的で創作的な「日記文学」に仕立てたのです。
それが、冒頭の「男も」に集約されているというのが、現在主流となっている考え方で、これを高校では教えているはずです。ですから、「男がするという~」と解釈しても間違いではないのですが、「男もするという~」と、あえて「も」のままで口語訳されているのです。