鈴木その子さんとは、かつて美白の女王で知られた料理・美容研究家。
白ぬりの肌と独特のキャラクターでテレビ出演も重ねていた鈴木その子さんはプライベートでは結婚しています。
ただ最愛の息子・康之さんを亡くしていますが死因は?また鈴木その子さんの結婚した旦那は誰なんでしょうか?
鈴木その子の息子の死因は?
鈴木その子さんの息子の死因について「拒食症」とも言われることがあるようですが実際には不慮の事故です。
鈴木その子さんの息子・康之さんが20歳だった1976(昭和51)年5月当時、極端な食べないダイエットの結果、体力が著しく落ちていました。
康之さんは、マンションのベランダから身を乗り出し、友達を見送ろうとしていました。しかし「さようなら」と手を振った瞬間、貧血を起こして体を支えることができずベランダから落ちてしまったのです。
「鈴木その子の幸せをつくる生き方」の本から
「拒食症」が原因というわけではなくあくまでもきっかけにすぎません。
料理研究家なのに料理で息子を救えなかったと後悔したことが「鈴木式ダイエット法」考案のきっかけとなったそうです。
鈴木その子の結婚した旦那は?
鈴木その子さんは短大卒業後、親のすすめで事業家の鈴木康郎氏と見合い結婚をしています。
明治生まれの母も「女の子はお嫁に行くのが一番幸せ」という考えの持ち主だったそうです。
一男一女をもうけ、株式会社トキノ創業までは平凡な専業主婦として過ごしていた時期もありますが42歳のときに実母に続いて、実父を亡くしたことがきっかけで事業家への転身 レストラン「トキノ」をオープンしています。
鈴木その子の息子の死因は?結婚した旦那は?
鈴木その子さんは幅広く事業を営む父・山中力松氏と、母・末野さんの三番目の子として誕生。
出身地:東京目黒区
生年月日:1932年(昭和7年)1月20日
本名:鈴木荘能子(旧姓:山中荘能子)
出身中学:山脇学園中学校
出身高校:山脇学園高等学校
出身大学:学習院女子短期大学食品化学科
晩年は1999年(平成11年)3月のイレウス発症を機に体調を崩し気味になり、翌年11月下旬に風邪をこじらせて入院して1週間後、肺炎のため急死。68歳没。
戒名は「白蓮院妙容日苑大姉」。墓所は成田メモリアルパーク。
42歳の時に実父を亡くしたことが転機となり、1974年に銀座に新日本料理「トキノ」をオープンしました。その子さんは料理好きで人を喜ばせることも好きだったため、レストラン経営を選んだのです。お店の評判は上々でした。
1976年には、拒食症を患っていた息子が亡くなり、誤った食事が最愛の人を失った後悔から、健康と料理を通じて人々の生命を救うことに強い意志を持つようになりました。レストラン「トキノ」ではダイエットの指導を行い、効果を実感したお客様が続出しました。その子さんは独自に考案した鈴木式の食養理論と調理方法をまとめた「やせたい人は食べなさい」を出版し、ミリオンセラーとなりました。
その後、美容研究家として活動し、自身の思う理想の化粧品づくりを目指し、スキンケアライン「トキノコスメ」や「荘シリーズ」を発売しました。
また、テレビ番組に出演し、美白法や美容法のアドバイスを積極的に行いました。彼女の提唱する美容法は、内側からの体のケアと外側からのスキンケアを組み合わせることを重視しています。
また、その子さんは食事においても健康と美容を考えた独自のアプローチを取りました。彼女の理論では、バランスの取れた食事を摂ることや食材の選び方が重要であり、野菜や果物、豆類、魚介類など栄養価の高い食材を積極的に取り入れることを推奨していました。
その子さんは美容と健康に関する著書やエッセイを数多く執筆し、多くの人々に影響を与えました。彼女のアプローチは、ただ美しさを追求するだけでなく、内面からの健康とバランスの取れた生活を重視することを提案していました。
鈴木その子さんは、自身の美容法や健康法に対する研究と実践を通じて、多くの人々に知識やインスピレーションを与え、健康と美しさを追求する支援をしてきました。彼女の独自の視点と情熱は、多くの人々に影響を与え続けています。