「春眠暁を覚えず」の続きはどうなっている?
孟浩然「春眠暁を覚えず」で始まる漢詩の全文は?
「春眠暁を覚えず」とはどんな心情を表現しているのでしょうか?意味は?
「春眠暁を覚えず」続きは?心情・意味は?
春眠不覚暁
処処聞啼鳥
夜来風雨声
花落知多少
「処処啼鳥を聞く. 夜来風雨の声 花落つること知る多少」という続きになっています。
「春眠暁を覚えず」心情・意味は?
「春眠暁を覚えず」という漢詩は春の訪れによって自然界が目覚める中、眠りの深い状態にある人々を揶揄しています。具体的には、朝の明るい時間にもかかわらず、春の眠気に勝てずに寝てしまって、大切な時間を浪費してしまう様子を表現しています。
また「春眠暁を覚えず」は、眠くても仕事や勉強に励まなければならないという義務感を表現することがあります。また、自然のリズムに合わせて生きることの大切さを訴えることもあります。例えば、春には昼夜の長さが均等になる春分の日がありますが、それに合わせて自分の生活を調整し、健康的な生活を送ることが大切だという意味も含まれています。
まとめ:「春眠暁を覚えず」続きは?心情・意味は?
「春眠暁を覚えず」とは、中国の詩人・孟浩然の詩「春暁」です。
春の朝は気持ちよく眠れるので、夜が明けたことに気づかないという心情を表現しています。
この言葉は、春の訪れや自然の美しさを感じるとともに、戦乱による故郷の悲惨さを嘆く杜甫の対照的な感情を示しています。
この言葉と似ているものに、「春はあけぼの」という言葉がありますが、こちらは万葉集に収められた和歌の一節です。
春の夜明けはだんだんと明るくなっていく様子を表現しています。1 この言葉は、春の自然の美しさや恋心を歌う和歌によく使われます。
「春眠暁を覚えず」と「春はあけぼの」は、どちらも春の朝に関する言葉ですが、意味やニュアンスが異なります。
「春眠暁を覚えず」全文
春眠不覚暁
処処聞啼鳥
夜来風雨声
花落知多少
書き下し文は
春眠暁を覚えず
処処啼鳥を聞く
夜来風雨の声
花落ちること知る多少
意味は現代語訳すると
春は朝が来たのも知らずつい寝過ごしてしまう
あちらこちらで鳥のさえずりが聞こえる
昨日の夜は雨風の音がすごかった
花もいくらか散ってしまったことだろう
ただこれには異論があります。
「春眠暁を覚えず」の解釈は、「春の眠りは心地よく、うっかり寝過ごし、夜明けに気付かない」となっていますが、冬至を境に夜明けが徐々に早まり、本格的な春の訪れになりますが、1~2月は徐々にですが、3~4月は急に早まります。真冬の7時と現在の7時では全く明るさが違います。
急激に早まった夜明け(暁)の時刻も当然早まり、普通は到底起きる時間ではなくなります。寝過ごすのではなく、寝ている時間に夜明けが来てしまう時期ですから、「うっかり寝過ごし」は誤りだと思います。
「春になり夜明けが急に早くなったので、夜明けには目覚めることが出来なくなった」と解釈が、妥当かもしれません。