平浩二さんは自分のことを語れる年齢になった人生をしみじみと歌い上げる往年の歌手。
コンサート出演中にくも膜下出血で緊急搬送されるもステージに復帰した平浩二さんの気になるプロフィールをまとめています。
平浩二wikiプロフィール
名前:平浩二
本名:平頼敏(たいら よりとし)
出身地:長崎県佐世保市
生年月日:1949年1月23日
年齢:74歳
所属事務所:ナインプランニング
出身中学:佐世保市立花園中学校(現・佐世保市立祇園中学校)
出身高校:長崎県立佐世保工業高等学校
趣味:ゴルフ、映画鑑賞
特技:柔道初段
平浩二の元妻は高子淑江?
平浩二さんの結婚した嫁は高子淑江さん。
約4年ぶりの新作となった「愛する君にありがとう」は高子淑江さんが“TAKAKO”名義で作詞・作曲を手がけていますが、2人の馴れ初めは平浩二さんが21歳の頃にさかのぼります。
当時まだ中学3年生だった高子淑江さんはラジオから流れる平浩二さんの『女の意地』を聞いて大ファンとなると、平浩二さんが営業で訪れた常磐ハワイアンセンターの楽屋に、母親と共に会いに来て初対面。
その後は交流を経て1980年に結婚していますが、平浩二さんには離婚歴はありません。
平浩二さんの元妻と言われるのはおそらく、結婚した嫁が「高子淑江」を名乗っているからでしょう。
おそらくは「高子」というのは旧姓で本名は平淑江さんなんでしょうね。
平浩二の子供(息子)は?
平浩二さんは高子淑江さんと1980年に結婚すると子供も生まれています。
供ができたタイミングで世田谷区若林の賃貸マンションに引っ越していますが、その後、妻が見つけてきた府中市の築2年の中古の一軒家を購入して暮らし始め、2000年代前半に3階建てに建て替えた。
息子は既に結婚もしていて、子どもたちの独立後は夫婦と義母の3人で暮らしているそうです。
平浩二の家族は?兄弟姉妹は?
6人きょうだい(3人の姉、弟と妹がいる)の8人家族で育った平浩二さんは『バス・ストップ』の大ヒットにより収入が増えたため、佐世保から親きょうだいを東京に呼び寄せ、杉並区の同じアパートにもう一部屋借りて暮らすようになったそうです。
葛飾区新小岩に開店したスナック「バス・ストップ」は姉に経営を任せて本人もスケジュールを縫って時々店で歌を披露していました(2018年に閉店)
また2010年、4歳下の弟で歌手・たいらいさおと、故郷の佐世保で「兄弟コンサート」を開催しています。
平浩二の経歴
大阪の船井電機に就職したが5ヶ月勤めた後、1967年に歌手を目指し上京。1969年、テイチクレコードから『なぜ泣かす』でデビュー
1972年、『バス・ストップ』(作詞:千家和也 作曲:葵まさひこ)がヒット。オリコン最高11位
平浩二のツイッターやインスタグラム
平浩二のツイッター
平浩二のインスタグラム
平浩二のフェイスブック
平浩二の高校や大学、中学の学歴は?
平浩二さんの通っていた高校・中学は次のとおりです。
出身中学:佐世保市立花園中学校(現・佐世保市立祇園中学校)
出身高校:長崎県立佐世保工業高等学校
前川清とは小・中学校の同級生
小学校高学年になると将来の夢として歌手に憧れるようになり、長崎放送の童謡番組に予選を勝ち抜いて出演
中学入学後に吹奏楽部に所属して打楽器を担当。高校進学後も吹奏楽部に入部
平浩二の身長・体重は?
平浩二さんの体重については具体的な数字は公表されていないものの身長は様々なメディアに登場する様子から170㎝台とみられます。
まとめ:平浩二wiki現在|元妻は高子淑江?年齢・弟は?
平幸一さんは、造船関係の仕事をする父と母、そして3人の姉と弟、妹の6人きょうだいの8人家族で育ちました。子供の頃から音楽に興味を持ち、姉たちが人気のある歌手に夢中だったことも影響しました。中学生の頃には童謡番組に出演するなど、歌手の夢を持つようになりました。
中学校では吹奏楽部に入り、打楽器を担当しました。高校進学後も吹奏楽部に所属し、音楽の先生がいなかったために指揮者も務めました。同時期に柔道も始め、2年足らずで黒帯を取得しました。
高校卒業後、大阪で就職し寮生活を始めましたが、寮でギターが得意な人と出会い、歌手への夢が再燃しました。父のつてで東京に訪れ、作曲家の安藤実親の弟子となりました。キャバレーでボーカル見習いとして働き始め、ギターの弾き語りも積極的に行いました。
デビュー曲『なぜ泣かす』がリリースされると、『女の意地』を歌ったことで注目され、大ヒットしました。その後もヒット曲が続き、収入が増えたため家族を呼び寄せ、新しいアパートで暮らすようになりました。また、葛飾区にスナックを開店し、姉が経営を任せ、自身も時々歌を披露しました。
デビューから20年が経つ頃は、ヒット曲やキャバレーの仕事が忙しく、兄弟コンサートも開催しました。21歳の頃、中学生だった妻と出会い、交流を経て結婚しました。子供ができてからは世田谷区のマンションに引っ越し、その後は府中市に一軒家を購入し、暮らしています。夫婦と義母の3人で暮らしており、妻も平さんのために楽曲を作詞・作曲しています。