平清盛と平将門の関係は?血縁関係はあるんでしょうか?
平清盛と平将門の家系図のつながりは?
平清盛と平将門の関係・つながりは?
平清盛と平将門は、同じ桓武平氏の出身ですが、200年以上も時を隔てた人物です。平将門は9世紀後半の平安時代中期、平清盛は12世紀の平安時代末期に活躍しました。
平将門は、父の死後、一族の私闘に巻き込まれ、周辺の豪族や農民を兵として組織して勢力を広げ、支配力の衰えた朝廷をよそに「新皇」を自称して東国に覇を唱えんとしました。しかし、藤原秀郷と将門の従兄である平貞盛によって討伐されました。
平清盛は、平治の乱で源氏を打ち破り、異例の早さで昇進し従一位太政大臣に昇進し、史上初の武家政権を樹立しました。
二人の直接的な関係はありませんが、平将門は平貞盛の従兄弟であり、平清盛の祖父である平維衡は平貞盛の父です。つまり、平将門と平清盛は、遠い親戚ということになります。
平将門の祟り
平将門は、首塚の祟りでも有名です。首塚は、将門の首を埋めた場所とされています。将門の首は、京都で獄門にかけられた後、東国に飛んで行ったという伝説があり、首塚は東京都千代田区の大手町にあります。
首塚の祟りについては、戦前からさまざまな話が語り継がれています。戦後も、日本長期信用銀行などに祟りがあったという話があります。
平清盛と平将門はどちらも桓武平氏
平清盛と平将門はどちらも桓武平氏の系図です。
桓武平氏(かんむへいし)とは、平安時代の天皇である50代桓武天皇の子孫で、平(たいら)の姓を賜った家系です。このうち、葛原親王の流れが平氏の主流となり、最も栄えることになります。
桓武平氏の始まり
桓武天皇は、平安京を遷都した天皇として知られています。桓武天皇には多くの皇子がいましたが、帝位は平城天皇が引継ぐことになり、その弟たちの多くは「親王(しんのう)」という位を与えられます。その一人に、幼いときから才知に優れていたといわれる葛原親王(かずらわらしんのう)がいました。当時は一夫多妻制ということもあり、皇族の数が増えすぎて財政を圧迫していたため、葛原親王は桓武天皇の孫にあたる、長男の高棟王(たかむねおう)を皇族の籍からはずし臣籍に降下させたいと申し出て、高棟王は天長2年(825)に平朝臣(たいらのあそん)という氏姓を賜わり「平高棟(たいらのたかむね)」を名乗るようになります。これが平氏のはじまりです。
桓武平氏の栄華
平高棟の息子・平国香(たいらのくにか)の長男・平貞盛(たいらのさだもり)は、平安時代中期の武将として活躍し、平将門の乱を平定したことでも知られています。貞盛の息子・平清盛(たいらのきよもり)は、平安時代末期の武将・政治家として活躍し、平家一門の全盛期を築きました。
平清盛の死後、平家は源氏との戦いに敗れ、滅亡しますが、桓武平氏はその後も武門として栄え、鎌倉幕府の有力御家人として活躍しました。
平清盛と平将門の家系図
【系図①】
桓武天皇―葛原親王―高見王―高望王
この高望王(平高望)が「平」という姓を与えられて「平氏」になったので「桓武平氏」の始祖・初代です
その高望王には何人かの息子がいました
その内、兄は平国香、弟は平良将と言いました
国香の遠い子孫が平清盛です
【系図②】
高望王(平高望)―国香―貞盛―維衡―正度―正衡―正盛―忠盛―清盛
【系図③】
高望王(平高望)―良将―将門
清盛は将門のいとこの子孫となります。
平将門の父が早くに亡くなった関係でその所領は父の兄弟たちに分割されてしまいます。
成長した将門はこれに反発し取り戻すための活動をし、当然叔父たちと対立しました。
遂に将門は一番上の叔父、平国香を討ってしまいます。
国香の息子の貞盛はこれを訴えますが、将門は大した罪に問われず、しかも間もなくあった恩赦で無罪同然になってしまいました。
将門が乱を起こすと、貞盛はこの討伐に参加。
貞盛は自ら将門を討ったとされます。
この功績により貞盛とその子孫は出世。
子の一人が伊勢国司となり、子孫は伊勢に勢力を移して伊勢平氏となりました。
この嫡流子孫が平清盛の一族となります。
まとめ:平清盛と平将門の関係・つながりは?家系図は?
平清盛と平将門はは「桓武平氏」と呼ばれる同じ家系に属しています。つまり、彼らの祖先は同じなんです。平氏というのは、日本の古代から続く特別な家族のことを指します。
しかし、平清盛と平将門は違う時代に生きました。平将門は約1,000年前の平安時代の中ごろに生まれて、9世紀の後半から10世紀の初めに活動しました。その一方、平清盛は平将門が亡くなってから約200年後に生まれて、12世紀の末に活躍しました。
彼らのつながりは、血縁関係にあります。平氏は日本の歴史において重要な家系で、桓武天皇の遠い子孫なんです。
平将門の方は、平高望という人の子孫で、彼は平清盛の伯父である平国香を討つ戦いをしました。そして、平清盛は平国香の子孫で、平将門の親戚の一人だったんです。
平将門は東国で反乱を起こし、新しい皇帝を名乗りました。それに対して、平清盛は平治の乱と呼ばれる大きな戦争で源氏を打ち破り、日本における武家政権を築きました。