滝沢カレンさんは日本語が下手なハーフタレントとして、「踊るさんま御殿!!」でそのおかしな日本語を披露して以来、お茶の間で人気となりました。
「おバカキャラを演じているんじゃないの?」という目で見られがちですが滝沢カレンの下手な日本語は実は幼少期から見についてしまったもので、その背景には両親の離婚やイジメがありました。
滝沢カレンの生い立ち
■滝沢カレンのプロフィール
本名:宮沢まりな
生年月日:1992年5月13日
年齢:29歳
出身地:東京都
身長:170cm
血液型:AB型
家族:兄弟なし
事務所:スターダストプロモーション
意外かもしれませんが、滝沢カレンというのは本名ではなく芸名のようです。
まず、母親の名前が「宮澤さゆり」さんなので苗字は「滝沢」ではなく「宮沢」というとが分かります。
さらに、母親の友人とみられる方が滝沢カレンさんのSNSにコメントした際、『まりなちゃん』と呼びかけていたことから、滝沢カレンさんの本名は「宮沢まりな」とみられます。
滝沢カレンさんは芸能界入りするきっかけとなったがの、高校生の時に渋谷でスカウトされたこと。
渋谷といっても広いので、109とかセンター街(バスケットボールストリート)あたりを歩いている所で声をかけられたのかもしれませんね。
2008年8月にスターダストプロモーションに入所すると、その年のミスセブンティーンを選ぶコンテストで6238通の応募の中から優勝!
グランプリ獲得したことから、芸能界の登竜門とされるミスセブンティーンで専属モデルとなり、2009年には映画『ROOKIES-卒業-』に購買部マドンナ役で出演し女優デビューしています。
滝沢カレンの生い立ち 日本語が下手な理由は幼少期に
滝沢カレンさんの両親はウクライナ人の父親と日本人の母親
しかし、滝沢カレンさんが生まれてくる前に、父親が浮気をしたままウクライナに帰国してしまったことから両親がが離婚。
その後は母親に引き取られ、母親がシングルマザーとして家計を支えることになったため、祖父母と過ごす時間が長くなります。
滝沢カレンさんの実家は『勉強するなら外で遊べ』という考え方で、幼少期は「泥を見て、泥をつけて、草のにおい、花の味を覚えて育て」と言われてきたそうです。
独特な日本語を話すことがトレードマークの滝沢カレンさんですが、日本語が下手とされる理由は、幼少期にはロシア語の通訳の仕事をしていた母の職場に来たロシア人とよく片言の日本語で会話したからです。
つまり滝沢カレンさんの下手な日本語というのは正確にはロシア語訛りの日本語になります。
滝沢カレンの生い立ち 小学校から中学でイジメに
滝沢カレンカレンの出身小学校:世田谷区立松原小学校
滝沢カレンさんは実家の教えのとおり、小学校に上がっても宿題をするよりランドセルを置いて公園に行くような毎日でした。
ただ、祖母は、今でいうとモラハラに近いレベルの厳しさで、滝沢カレンさんと目が合うと『お前は人間の誰よりも底辺だ』と言われていたそうです。
それずっと大人まで続き、その影響で小学3年のころには誰に対しても敬語を使う習慣が見につきます。
さらに小学校6年生にしてすでに身長が172cmもあった滝沢カレン。
良くも悪くも目立つ存在だったことから、差別され、泣きながら帰ることもしばしば。
「なんで髪が茶色いんだ」とか「目が茶色いんだ」と髪を濡らして黒く見えるようにして学校に行くと、今度は頭が黒くテカテカになってしまい、男子生徒からは「ダース・ベイダー」とあだ名されるように。
祖母に感情を吐露していたものの、祖母は『大きいんだから、やり返せばいい』『コンプレックスを武器にしろ』と滝沢カレンさんを擁護するわけでもなく叱咤します。
実際に滝沢カレンは女子生徒代表としてボス的な存在の男子生徒と戦うことになりますが『いつの間にか勝てちゃった』と、小学校のボス的な立ち位置になったそうです。
ちなみに、滝沢カレンさんに初めて彼氏ができたのは中学校2年生の頃。
小学3年の時から好きだった同級生・菅井貫多(かんた)さんで、どうやら滝沢カレンさんとはボスの立場をかけてケンカをした人物のようです。
初恋の相手ということで思い切って自分から告白して付き合うことになり、一緒に下校するようになったものの、なんと交際3日目にメールでフラれてしまったそうです。
一方で滝沢カレンさん3歳の頃から習い事をはじめています。
クラシックバレエを3つの教室を掛け持ちするほど打ち込み、水曜日以外の週6日はバレエ教室通い。
体型維持のためか、滝沢カレンさんの実家では「肉は年5回しか食べてはいけない」など家族の誕生日となど特別な日にしか口にすることができなかったそう。
普段の食事はもっぱら魚中心の和食だったとのこと。
バレエで将来、ロシアのバレエ学校「ワガノワバレエアカデミー」への入学を目標に頑張っていて、15歳まで続けています。
滝沢カレンの生い立ち 高校から
滝沢カレンさんは日出高等学校(2019年より目黒日本大学附属高等学校)芸能コースへ進学しています。
日出高等学校と言えば芸能人御用達の学校として知られていますね。
剛力彩芽
染谷将太
などが同級生になるようです。
滝沢カレンさんは16歳の高校1年生からセブンティーン以外にも『JJ』専属モデルや、バラエティの出演をするようになります。
ちなみに、厳しくも温かく滝沢カレンさんを見守ってきた祖母ですが、芸能界に入る事を猛反対していたそうです。
進路をめぐって「1円も持たずに家から出て行きなさい!」と言われてしまいそれでも夢を諦めきれず、中3年の時にデビューをすると、祖母とは絶縁状態なってしまいました。
祖母もきっと頑固な人で、本音では応援をしたいものの、芸能界という未知の世界に孫を預けることに大きな不安があり、気持ちの面でなっとくできなかったんじゃないでしょうか。
滝沢カレンの生い立ち 離婚した両親のその後
滝沢カレンさんは父親の姿を結局、今までに一度も目にしたことがないようで、現在はどこにいるのかも不明。生死も安否すらも分からないようです。
ちなみに、滝沢カレンさんと同じくウクライナ人の血を引くハーフタレントが、超絶美貌の持ち主ながら天然な性格で人気を得ていますね。
一方で、滝沢カレンさんの祖母は2014年に鬼籍に入っています。
2018年5月に出演した「徹子の部屋」ては、モデル活動やバラエティーで活躍し始めても、「祖母は仕事に理解を示してくれないまま他界した」と話し、感極まった滝沢カレンさんが涙するシーンが反響を呼びました。
しかし、祖母の遺品を整理していると、滝沢カレンさんがモデルデビューしたときの写真パネルなど思い出の品が続々と見つかり、陰ながら祖母が応援してくれていたことがわかっています。
母親とは非常に仲が良く、「踊るさんま御殿」にも滝沢カレンさんと一緒に出演したことがあります。
子育てについて反省を述べることになった母親は「変な日本語になったのは自分のせいだ」と告白。
離婚してシングルマザーとなってしまったため、家計を支えるために本業のバレリーナの傍らロシア語の通訳など仕事に追われるようになり、カタコトの日本語をしゃべるロシア人の影響を受けてしまったと話しています。
滝沢カレンさんの母親・宮沢さゆりさんは、幼い頃にボリジョイバレエ団の「ロミオとジュリエット」に魅せられバレエを習いはじめます。
バレエの情熱は強くなる一方で、高校を卒業後、親に内緒で働いて留学費用を貯め、語学留学を名目にソ連に渡ります。
出身高校:埼玉県立志木高等学校
最終学歴:日ソ学院→プーシキン記念ロシア語大学
毎晩のようにボリショイ劇場のバレエ公演に通い、帰国後は新国立劇場でロシア人バレエ講師の通訳や、ロシア人バレエ講師に密着して、ロシアバレエレッスンという本を制作。
滝沢カレンさんの母は日本のバレエ界ではロシア語の通訳者としてとても有名な方だったようです。
滝沢カレンの祖父の建築事務所が閉鎖したのを機に、ロシア人の講師を集めて、Ballet Studio RYABINA バレススタジオ リビーナ」の元バレエ教室オーナーも務めていました。
そんな滝沢カレンさんの母親も2018年7月に56歳という若さでガンで亡くなっています。
母・さゆりさんは医者嫌いだったそうで、気づいたときには末期のガンだったそうです。
亡くなる直前まで滝沢カレンさんは一緒なマンションで暮らしていたそうですが、母親の死を一切公表せず、伏せていました。
葬儀では喪主を務め、「生まれ変わってもまたママの子供になりたい」と語っていたそうです。