多和田真三郎は2015年ドラフト1位で西武ライオンズに入団し、2018年の日米野球には日本代表・侍ジャパンとして出場。
2021年に戦力外通告を受けるも現在は六花亭の軟式野球部で野球を続け2023年11月15日には12球団合同トライアウトを受けている多和田真三郎さんの気になるプロフィールをまとめています。
多和田真三郎wikiプロフィール
名前:多和田真三郎
出身地:沖縄県中頭郡中城村
生年月日:1993年4月13日
年齢:30歳
身長:182 cm
体重:82 kg
投球・打席:右投右打
ポジション:投手
プロ入り:2015年 ドラフト1位
初出場:2016年5月14日
最終出場:2019年8月3日
小学校:中城村立津覇小学校
出身中学:中城村立中城小学校
出身高校:沖縄県立中部商業高等学校
出身大学:富士大学
低重心のフォームから浮き上がるように伸びる直球の最速は152km/h、変化球はスライダー、カットボール、落差のあるカーブ、フォーク、シンカーを投げる。
多和田真三郎の結婚した嫁や子供は?
多和田真三郎は2017年に結婚したことを球団を通じて発表しています。
結婚した嫁は北海道出身で1つ年上の一般女性とのこと。
「彼女が作る料理の中で、肉巻おにぎりが好きなので、その肉巻おにぎりを原動力に、来シーズンは勝負の年だと思って、私がチーム、そして家庭を支えていきます」とコメントしています。
多和田真三郎は当時は24歳だったので、結婚した嫁の年齢は2024年現在で32歳となりそうですね。
子供も誕生して少なくとも男の子が1人いるようです。2018年8月28日、第一子となる男の子「真渚仁(まなと)」くんが誕生しています。
多和田真三郎の高校や中学の学歴は?
多和田真三郎さんの通っていた高校・中学は次のとおりです。
小学校:中城村立津覇小学校
出身中学:中城村立中城小学校
出身高校:沖縄県立中部商業高等学校
津覇小学校1年生の時に地元の少年野球クラブ「津覇少年野球クラブ」で野球を始め、4年生から投手に。
中城中学校ではクラブチームには所属せず、軟式の野球部に所属してプレー。
高校は沖縄の強豪である中部商業高校に進学すると中部商業高校では1年生の秋にベンチ入り。
2年生の秋にはエースとなったが3年生の全国高等学校野球選手権沖縄大会の決勝戦で糸満高校[3]に敗れ準優勝となったのが最高成績だった
なお、2年夏の県予選ではかつて巨人に在籍していた宮国椋丞投手と投げ合っています。
多和田真三郎の大学の学歴は?
多和田真三郎さんの通っていた大学は富士大学です。
プロ志望届を提出したものの、どこからも指名はなかったことから富士大学に進学していますが、1年生の春季から早くも登板。
11月11日、第43回明治神宮野球大会の2回戦・国際武道大学戦で、1年生では史上2人目、大会史上4人目のノーヒットノーランを達成した[5]。3年生時、8月30日のノースアジア大学戦では、これまでのリーグの1試合奪三振記録17を上回る18奪三振を記録した
11月14日、第45回明治神宮野球大会の1回戦に先発登板したが3回2/3を投げて7失点でチームはコールド負けした。
4年生の春季リーグの終盤で右肩腱板に炎症を起こし、6月に行われた第64回全日本大学野球選手権大会および秋季リーグには登板しなかった。
北東北大学野球リーグでは1年生の秋季に最優秀防御率賞と最優秀選手賞、2年生の春季に最優秀選手賞、秋季に優秀選手賞、3年生の秋季と明治神宮野球大会第6回東北地区代表決定戦でそれぞれ最優秀選手賞を受賞し、ベストナイン(投手)には2年生の春季、3年生の秋季、4年生の春季に選ばれている[9][10]。大学通算で46試合に登板、316回1/3を投げ、32勝8敗、防御率1.08だった。また、当時のリーグ新記録の299個の通算奪三振を記録した。
なおリーグ通算最多奪三振は後に髙橋優貴により301に更新された。
多和田真三郎の現在までの球歴|アマチュア時代1
小学1年生の時に野球を始め、小学4年生の時に投手に転向
中学ではの軟式野球部に所属し中部商高から富士大へ進学。
2012年、1年秋の神宮大会2回戦(対国際武道大)でノーヒットノーランを達成し注目を集めます。
4年の秋も活躍を期待されていましたが春に右肩を炎症し、登板を避けるようになっています。
多和田真三郎の現在までの球歴|西武時代
2015年10月12日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから1巡目で指名を受け、契約金1億円プラス出来高払い5000万円、年俸1500万円(金額は推定)で合意し、入団。
背番号は「18」に決まった。ドラフト前に西武が1位指名を明言し公表したが、1位指名選手を明言したのは2014年の髙橋光成に続き2年連続だった。
また、富士大学からドラフトで西武へ入団したのは2013年入団の山川穂高、2014年入団の外崎修汰に続き3年連続となった。
1年目から18試合に登板し、2完投1完封の7勝を挙げる活躍を見せると、2017年は怪我の影響もあり前年を下回る16試合の登板で5勝
2018年はチームの中で唯一開幕からずっとローテーションを守り、26試合で5完投の16勝を挙げリーグ優勝に大きく貢献しました
月間MVPを4度も獲得し後半戦はローテーションの頭も任されるなど、西武の次世代のエースとして首脳陣からも大きく期待される選手へと成長。
多和田真三郎の現在までの球歴|なぜプロ引退?
2019年は自身初の開幕投手を任されますが、1勝を挙げた後は全く勝てなくあんります。
不本意な投球が続き2度の2軍降格を経験。
不整脈も発症し、治療に専念に専念していたところ、自律神経失調症も患います。
2020年3月24日に3軍に合流したものの、同年11月3日、翌年の契約を結ばない旨が球団より発表されました。
多和田真三郎の成績
■高校
3年夏:11夏沖縄大会準優勝(1-2糸満)
・甲子園出場実績
なし
■大学
北東北大学:12秋・13春・14春・14秋・15春MVP、13春・14春・14秋・15春ベストナイン、13最優秀選手(試46勝32負8回316 1/3責38防1.08)
・全国大会実績
大学選手権:13・8強(試1勝0負1回5 2/3責7防11.12)、14・1回戦(試1勝0負1回8 1/3責1防1.08)、15・1回戦(出場なし)
神宮大会:12・4強(試2勝1負1回13 2/3責0防0.00)、14・1回戦(試1勝0負1回3 2/3責5防12.27)
多和田真三郎のツイッターやインスタグラム
多和田真三郎のツイッター
多和田真三郎のインスタグラム
多和田真三郎のフェイスブック
まとめ:多和田真三郎wiki現在|なぜプロ引退?結婚した嫁・子供は?
西武退団後の多和田真三郎の去就は報じられていなかった中、2022年9月開催の第77回天皇賜杯全日本軟式野球大会ENEOSトーナメントの北海道北代表・六花亭チームの出場メンバーに多和田真三郎が登録されており、社会人軟式野球に活動の場を移してプレーを継続していることが判明
富士大時代の恩師である青木久典監督が同社軟式野球チームの監督を務めていたこともあり、同社の亭主を務める小田豊さんもNPB復帰の夢を後押ししてくれたそうです。
この第77回ENEOSトーナメントでは9月17日の1回戦・対養和会戦で、5回裏から2番手として登板。2回を投げて被安打2、無失点で抑えている。
翌2023年も六花亭で引き続きプレーしており、第78回ENEOSトーナメントでは9月16日の1回戦・対キタNDSクラブ戦と17日の2回戦・対大分銀行戦で先発投手として登板している