タイタニック号では多数の犠牲者が出てしまった事故ですが遺体の引き上げは?
映画では最後、スミス船長が操舵室に閉じこもって死を迎えますが、あれは事実なんでしょうか?遺体はどこへ?
タイタニック号|遺体の引き上げは?どこへ?
タイタニック号で犠牲になった人達の遺体については、事故から数日後にタイタニックを運行した「ホワイトスターライン社」がケーブル敷設船等2隻の捜索船をチャーターして、約2週間にわたり現場海域で遺体回収作業をしています。
これによって323体の遺体が回収され、うち損傷の激しい119体は持ち帰らず、現場海域で水葬されました。
またこれとは別に5体が、現場海域を通った別の船に回収されています。
これら全部合わせても全犠牲者の3分の1程度なので、全員の遺体は回収されていません。
その後、現場から回収された328体の遺体は、検視と身元確認作業の後、身元が判明した59体は遺族に引き取られました。
身元不明の遺体はハリファクスにタイタニック犠牲者のための共同墓地が作られ、この地に埋葬されました。
なお、これら捜索船のために用意された棺だけでは数が足りず、遺体が回収された場合は一等客と思われる遺体を優先的に棺に入れたとのことです。乗組員や三等客は棺には入れられず、帆布などで作った袋に入れられました。
この作業によって判明した事実もあります。
たとえば一等客のジョン・ジェイコブ・アスター氏の遺体は煤だらけで押しつぶされていて、氏がタイタニック沈没直前に倒壊した煙突の下敷きになったという目撃証言が事実であることが確認されています。
この一連の作業後に遺体や遺骨が発見されたり、回収されたという話はありません。
特にタイタニック号の船体が発見されるまで、事故から73年もの月日が流れています。その間に遺体は骨まで腐敗し、何も残らないです。
タイタニック号の引き上げは?
タイタニック号は15の防水扉で16の区画に分けられていました。
これは例えどこに穴があいて水が入ってきても、浸水したのが2区画だけ、もしくは船首から4区画だけなら、船が浮かんでいられるように設計されました。
タイタニックは第1区画から第5区画まで氷山との接触で亀裂が入り、そこから浸水を始めました。
船首から4区画までなら船は浮かんでいられましたが、5区画まで浸水してしまうと、もうどうにもできません。タイタニックはそのまま船首からゆっくりと水中へ沈んでいき、船尾が持ち上がった時、第3煙突と第4煙突の間を境に二つに折れました。
この時なぜ折れたのかというと、船尾が持ち上がった時、船尾には3万トンもの力がかかったそうです。船はこれほどの力を支えるようには設計されていません。その為、船尾の力を支えきれずに折れてしまったのです。
二つに折れたタイタニックは竜骨(キール)の部分で少しつながっていましたがすぐにちぎれ、船首が約1ノットのスピードで海底へ、その数分後船尾が船首を追うように水中へ沈んで行きました。
タイタニック号そのものの引き上げは、海が深すぎるので、船全体を引き揚げることは不可能です。
だから船を丸々引き揚げることは考えられたこともありません。
ですが船の一部の引き揚げ、となると話は別です。
1996年8月に、高さ7.3メートル、長さ7メートル、重さ13トンの右舷側船殻部分を引き揚げる計画が実行されたことがあります。
ですがこの時は現場海域に接近中のハリケーン(熱帯低気圧)によって失敗に終わります。水深60メートルまでの引き揚げで曳航する(この引き揚げでは水深50~60メートル程度まで引き揚げた残骸を、そのまま大陸に近い浅い海まで曳航する予定でした)ところまでは上手くいきましたが、曳航中にハリケーンによる大波を食らって残骸をぶら下げていたワイヤーが切れ、残骸はまた深い海に沈んでしまったのです。
それとは別に、小さな船の部品や乗客や船員の持ち物、それに船内レストランの食器類などが引き揚げられていて、世界中で展覧会が開かれて公開されています。ただし乗客の持ち物で持ち主が特定できたものは家族などに返還されていて、中には本人に返還されたものもあります。
タイタニック号でスミス船長の遺体の引き上げは?
映画「タイタニック」では、スミス船長は最後操舵室に閉じこもって死を迎えますが、史実でも船長が亡くなったのはほぼ間違いないとみられています。救難ボートに乗らなかったのは確実なようです。
ただ遺体は発見されず、最終的にどこで死亡したのかははっきりしていないようです。(沈没直前にブリッジに入っていった、というのは、複数の矛盾する目撃証言の中のひとつ)。
タイタニック号の生存者に、凍えた海を夜中に漂流していた時、同じく漂流する男性から励ましの言葉を掛けられ、「暗くて姿は見えなかったが、あれは船長だったと今でも信じている」と証言した元クルーがいるという話しもあります。
まとめ:タイタニック号|遺体の引き上げは?どこへ?
タイタニック号は、1912年に北大西洋で沈没した豪華客船です。乗客と乗員合わせて約2,224人が乗船していましたが、そのうち約1,513人が死亡しました。
タイタニック号が沈没したとき、海水温は約氷点下2度でした。そのため、海に放り出された乗客は、低体温症で死亡したと考えられています。また、船内にいた乗客も、船が沈没する際に死亡したと考えられています。
タイタニック号には、現在も船内に遺体が残っている可能性があります。しかし、海洋生物によって人間の肉は食べられ、骨についても深海の水の作用によって化学分解されてしまって跡形も残っていない可能性が高いと考えられています。
タイタニック号の遺体を引き上げることは、技術的にも倫理的にも難しい問題です。そのため、遺体を引き上げる計画は現在のところありません。
身元不明の遺体は共同墓地に埋葬されていますが、共同墓ではありません。
共同墓地の敷地にそれぞれの墓誌名がかかれて別々に埋葬されています。ただ名前が判らなかったご遺体のお墓の墓誌名はなく、性別と特徴などが刻まれているようです。
〇まとめ
タイタニック号の沈没時、海水温は零下2度であり、乗客は低体温症になって沈んでしまったとされる。
タイタニック号には2224人が乗船し、1513人が亡くなったとされるが、正確な被害者数はわからない。
遺体の引き上げは技術的に困難であり、多数の身元不明の遺体はカナダのハリファックスに埋葬された。
1985年にタイタニック号が発見され、引き上げの議論が起こったが、遺体の冒涜や課題により進展がない状況。
タイタニックの残骸を追悼の場とみなす英国との協定や、リスクやコストの問題が引き上げの障害となっている。
現在も船内に遺体がある可能性は低いと考えられており、海洋生物や深海の水の作用によって腐敗や破損が進んでいるとされる。
深海は保存力が高いため、一部の学者は船内に遺体が残っている可能性を主張しているが、意見は分かれている。