映画「タイタニック」はレオナルド・ディカプリオが主演し世界的な大ヒットを記録しました。
ジェームズキャメロン監督にとっては数多くの代表作の一つが映画「タイタニック」ですが、史実をかなり忠実にストーリーに盛り込んでいることが知られています。
その一つが、タイタニック号が沈没するまで楽団員がずっと演奏を続けていた、というエピソードです。
タイタニック号の楽団員はウォレス・ハートリー!
映画「タイタニック」は今もなお映画史上に燦然と輝く名作映画で、1997年の公開から興行収入は10年以上も1位に君臨し続けました。
ちなみに、映画「タイタニック」の興行収入記録を破ったのが2009年の映画「アバター」で、タイタニックと同じくジェームズ・キャメロンが監督・脚本を務めていました。
そして、映画「タイタニック」と言えば実話をベースとしていて、映画本編では実際のエピソードが数多く盛り込まれています。
今まさに、沈み行くタイタニック号の船上で、最後まで演奏を続けた楽団員(バンドメンバー)がいたことも史実通り。
嘆き悲しみ、叫び声をあげる人々を尻目に、命を削って音を奏で続けた楽団員を率いたのがウォレス・ハートリーという人物でした。
学校でヴァイオリンを学んだハートリーは、演奏を生業とするようになります。
1912年に、ハートリーはタイタニック号を所有していたイギリスの海運企業「ホワイト・スター・ライン」に派遣されて船内でも演奏をするようなります。
タイタニック号に乗船することになるのは1912年4月のこと。
ハートリーはタイタニック号のバンドマスターに指名され、タイタニック号が氷山に衝突した際はまさに演奏の真っ最中。
ハートリーは最初のうち、最近プロポーズしたばかりだった婚約者のマリア・ロビンソン(Maria Robinson)を残していくことを躊躇したそうですが、タイタニック号がもたらしてくれるはずの将来の仕事への可能性を広げようと、この仕事を受諾したとも言われています。
■ハートリーを演じた人物
Charles Belchier:『SOSタイタニック』(1958年)
ジョナサン・エヴァンス=ジョーンズ:『タイタニック』(1997年)
浜畑賢吉:『タイタニック (ミュージカル)日本版』(2006年、2009年)
矢崎広:『タイタニック (ミュージカル)日本版』(2015年)
タイタニック号の楽団員の救助は?生存者は?
タイタニック号に乗船していた楽団員はウォレス・ハートリーを含め次の8人。
ウォレス・ハートリー(バンドマスター、ヴァイオリニスト)
ロジャー・ブリコックス(Roger Marie Bricoux、チェリスト)
ジョン・クラーク(John Frederick Preston Clarke、ベーシスト)
パーシー・テイラー(Percy Cornelius Taylor、チェリスト)
ジョージ・クリンズ(Georges Alexandre Krins、ヴィオリスト)
セオドア・ブレイリー(W. Theodore Ronald Brailey、ピアニスト)
ジョック・ヒューム(John Law “Jock” Hume、ヴァイオリニスト)
ジョン・ウェズリー・ウッドワード(John Wesley Woodward、チェリスト)
ホワイト・スター・ライン社は彼らを社員として雇用することを避けるため二等乗客として乗船させていました。
「ミュージシャン」と乗船名簿に記入した彼らは、一枚の団体チケットを共有していたそうです。
この音楽家達は常に8人で演奏していたのではなく、ふたつのグループに分かれて演奏しています。
トリオは、レセプションそばにあったア・ラ・カルテ・レストラン(カフェ・パリジャン)で演奏し、
他のクインテット(「オーケストラ」として呼ばれている)は一等クラスのラウンジと、入り口付近などで演奏したという。
タイタニック号が沈み始めると、ハートリーと彼のバンドは、乗客たちが落ち着いて救命艇に誘導されるようにと、まず「ラグタイム」の曲目を演奏しはじめます。
多数の生存者の証言によると、タイタニックが沈む直前まで演奏し続けたと言われています。
ハートリーの遺体は、事故の約2週間後に遺体捜索用にチャーターされたケーブル敷設船「マッケイ・ベネット」によって引き上げられ、身元が確認されています。
ハートレイ氏の遺体は自分の胸に堅く楽器を抱いたまま凍り付いていたそうです。
彼の遺体はホワイト・スター・ラインの汽船「アラビック」(Arabic)でイギリスに運ばれた。葬儀には1,000人が出席し、40,000人の人々が彼の葬列を見送ったという。
タイタニック号の船長であったエドワード・ジョン・スミスは、この航海を最後に引退しようと考えていたという説があります。
「スミス船長の船にしか乗らない」という大富豪がいたほど、彼は経験豊かで高い名声を誇っていたのです。
新造船の処女航海で何度も舵を任され、定年を間近に控えていたというスミス船長。タイタニック号沈没事故では謎の多い彼ですが、実は遺体が引き上げられていません。
映画「タイタニック」では船長のエドワード・ジョン・スミスが実名で登場しますが、メインカップルであるジャック(レオナルドディカプリオ)とローズの2人のうち、ローズにはモデルがいます。
ジェームズ・キャメロン監督はローズをアメリカ人芸術家ベアトリス・ウッドのイメージで描いた、と明かしています。
ちなみに、タイタニック号の犠牲者の中にはジャックと同性のジョセフ・ドーソンという人物が存在したことから、「J.ドーソン」と刻まれた彼の墓所を訪れるファンもいるそうです。
タイタニック号の楽団員が最後に演奏した曲は?
タイタニック号の一等客室の金額は、約77,000ポンドでした。現在の価値で日本円に換算すると約575万円。
平均的な二等客室は約1,000ポンド、三等客室は約300ポンドから600ポンドと大きな開きがあり、ホワイト・スター・ライン社は、各等級の乗客をエリアに分けて滞在させ、裕福な乗客とそうでない乗客が船内で出会わないような雪渓となっていました。
1、2、3等と完璧に差別され、エリアの出入りも無理でした。
救命ボートも、1等の分だけ用意されていませんでした。
これにより船が沈んでいった時、階級を分けるゲートで分断されていた三等客室の乗客は、水が流れ込んでくるまで事態を知ることもなく、その結果この階から多くの犠牲者を出すことになります。
船が沈みゆくとき、タイタニックの楽団員は楽長ハートレイ氏の指示によってすこしずつ船体後部へ移動しながらも、演奏を中断しなかったと言われています。
おそらくは、船の電気が落ち、暗くなって楽譜を読むことができなかっただろうし、大きいコルクの詰まったライフベストを着ていた彼らにとって、ヴァイオリンを弾くことはとても大変だったことと推測されます。
アメリカの億万長者夫人モリー・ブラウンは救助ボートで海上出ようとしたとき、甲板上で三人の音楽家たちが演奏していることに気づき、離れゆくボートから手を振ったと言われています。
楽団員の8人は残念ながら全員が命を落とすことになりますが、楽団員はあくまでも「乗客」として乗船していたことから、その遺族達はホワイトスター・ライン社からはあらゆる殉職手当を拒まれたそうです。
しかし彼らの勇敢な行動に対して英国の音楽家ユニオンは、彼らの遺族のために基金を作ることに協力しています。
そんなタイタニックの楽団員が最後に演奏した曲は、アメリカの賛美歌で「Nearer, my God, to Thee 主よ、みもとに近づかん」という曲。
作曲者は「アメリカ賛美歌の父」といわれるLowell Masonローエル・メーソン(1792-1872)
タイタニック号の楽団員のバイオリン発見!?
英競売会社「ヘンリー・オルドリッジ&サン」はこのほど、1912年に沈没した英豪華客船タイタニック号の沈没間際まで船上で演奏を続けた楽団のバイオリンが見つかったと発表した。
バイオリンは楽団長だった英国人、ウォレス・ハートリーさんのもので、2006年に英国人男性がアマチュア音楽家だった母親の荷物から発見。専門家による7年間の鑑定の結果、本物と断定された。
沈没事故の2年前にハートリーさんの婚約相手の女性が贈ったとみられ、2人の名前とともに「婚約記念に」と刻まれた銀のプレートが取り付けてある。ハートリーさんは事故で死亡したが、バイオリンを革のケースに入れ、大切そうに体に結びつけた状態で、海上で発見されたという。(ロンドン=共同)
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1600Q_W3A310C1CR8000/
ウォレス・ハートリーさんのバイオリンは、入札は50ポンド(約7,000円)からスタートしたが、わずか数分で10万ポンド(約1,400万円)を突破。
最終的に90万ポンド(約1億2,600万円)で落札されたそうです。
他にもタイタニック号生存者の救命胴衣がオークションに出品され、約1430万円という値段がつき話題となりました。