「to be is to do」の意味は?
直訳すると「そうであることは」「それをすること」となりますが、どんな意味に解釈すれば良いんでしょうか?
to be is to doの意味は?ソクラテスの名言?
To be is to do.の意味は「生きることは行動すること。」
ネットで調べると、この格言の主は、ソクラテス、デカルト、プラトン、ニーチェなの色んな説があるようです。
「生きてる限りは行動しなきゃ駄目だよ」と諭されているようにもとれますね。
まとめ:to be is to doの意味は?ソクラテスの名言?
「to be is to do」の意味は物理学的に考えると、何かの存在は他の存在に作用している。つまり、作用があるということは、何かしらの存在があるということでしょう。
To do is to be.
行動する事は、生きる事。
To be is to do.
生きる事は、行動する事。
“To be is to do” (ソクラテス?)
“To do is to be” (サルトル?カント?)
“Do be do be do” (フランク・シナトラ)
海外では、哲学者2人とフランク・シナトラの歌詞の引用3つ並べられることもあるようです。
英文学者である金関寿夫の英詩”The Ghost of A Cow”(雌牛の幽霊)が出典のようですが、
カントについて。
直訳すると、「存在は行為である」です。
カント道徳論では、人間は現象界に存在するだけでなく、
物自体の秩序である英知界にも属する人格としても考えられています。
なので人間は、現象界を支配する自然の因果性だけでなく、
英知界における因果性にも従うべきだということが論じられています。
そして、この英知界における因果性とは道徳法則のことであり、
「汝の意志の格率がつねに同時に普遍的立法として妥当するように行為せよ」
とカントは言っています。
これらを踏まえて意訳すると、
「(人格としての)人間は(自らの意志によって)
普遍的法則となるように行動せねばならない」
ですかね。
つまり、ここでのbe動詞+toの不定詞は義務として使用されているんじゃないかと・・・。
次にサルトルについて。
直訳すると、「行為は存在である」です。
サルトルの思想では、自分自身の存在である実存が中心となっています。
人間とは、神のような存在が我々をつくったのではなく、それがために
我々には神の決定した本質というものを持っていないのです。
であるから、我々は自らで本質を創り上げなければなりません。
これらを踏まえて意訳すると、
「(本質を)「創り上げていくこと」=「行為」が我々を人間として「存在」たらしめている」
のような感じになりますかね。
とここまで哲学的思想を語ってきましたが、シナトラが
「人生はおおらかに、そしてたおやかにね」
と笑い飛ばすのではないでしょうか。