閉じ師は映画「すずめの戸締まり」で災いを封じ込めているという存在。
宗像草太は閉じ師の仕事を生業とする一族の末裔(まつえい)ということですが閉じ師は実在する?元ネタは?
閉じ師は実在?元ネタは?すずめの戸締まり
閉じ師とは人々のいなくなってしまった場所に開く災いの扉「後ろ戸」を閉めることを使命とする特別な存在。後ろ戸の向こうから来る災いを阻止するために、その扉に祝詞(のりと)を唱えながら鍵をかけ、災いを封じ込めている。
物語の冒頭で登場する宗像草太は、代々閉じ師の仕事を生業とする一族の末裔(まつえい)であり、彼自身も日本各地に現れる後ろ戸を閉めるために全国を旅して回っている。
映画「すずめの戸締まり」は現実とフィクションを合わせた作品ですから、閉じ師は実在もしなければ元ネタもないと考えて良いでしょう。
ダイジンが草太を要石にした動機はたしかにすずめと2人になりたかったからだと思いますが、あくまでそれは表向きの理由であって、草太が神候補に選ばれたということだと思います。
要石とは代々、人が選ばれてその役目を負うのではないでしょうか。ダイジンも元人だと思いますが、既に人としての感情はないものと思います。
ちなみに、要石の場所は時代によって変わります。多分自然に移動するようなものではなく抜けて後継者に任せての繰り返しだと思いますが、例えば後ろ戸が移動したりしても場所は変わるのかもしれません。でもそれだと現実の地震の原因と言われてるマントルの位置が変わることになるので、多分前者の設定だと思います。
ダイジンからすると、次の閉じ師に引っこ抜かれ、でも要石は用意しないと行けないので閉じ師(神候補)である草太を要石にした、という感じだと思います。
だから閉じ師候補のすずめを後ろ戸に案内したのではないでしょうか。
まとめ:閉じ師は実在?元ネタは?すずめの戸締まり
閉じ師は存在しません。
そもそも、現世(うつしよ)と幽世(かくりよ)を繋ぐ扉の開け閉めだけを行うという考え方がオリジナルです。
閉じ師の言葉{祝詞(のりと)}
【かけまくもかしこき日不見(ひみず)の神よ
遠(とお)つ御祖(みおや)の産土(うぶすな)よ
久しく拝領つかまつったこの山河(やまかわ)
かしこみかしこみ 謹んで────
お返し申す!】
は神道の祝詞風の言い回しです。
比較的近いのは祓詞かも。
祓詞の例:
掛けまくも畏き伊邪那岐大神
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に禊ぎ祓へ給ひし時に
生り坐せる祓戸の大神等諸々の禍事・罪・穢
有らむをば祓へ給ひ清め給へと
白すことを聞こし召せと恐み恐みも白す
意味は雑に言えば
「畏れ多き尊い神様、災厄を払ってください御願いします」です。
ただ、見ての通り、神道は「人に出来ないことを神様にお願いする」
ことで祓事を為しますので、「お返し致します」と、自力で神様に物事を投げつけて投げっぱなしでお礼も言わない という考え方は神道の考え方ではありません。
現実に阪神大震災や東日本大地震が起きているんですから閉じ師も全部は防げないでしょう。
作中の要石が2とも抜けてしまった、みたいな話は阪神大震災のことかもしれません。