東京23区の東部・西部とはどこ?

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東京23区を

東部
西部

に分ける場合、それぞれどこの何区が東部・西部となるんでしょうか?

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東京23区の東部・西部とはどこ?

天気予報などで東京23区が東部と西部に分かれるときがあります

具体的に何区で東部が何区が西部なのかというと、

気象庁 Japan Meteorological Agencyによる「東京都(23区及び多摩)」の分類では次のようになっています。

23区あるうち、7区が東部でそれ以外の16区が西部になるようです。

■東京23区東部
江戸川区
葛飾区
足立区
荒川区
台東区
墨田区
江東区

■東京23区西部
千代田区
中央区
港区
新宿区
文京区
品川区
目黒区
大田区
世田谷区
渋谷区
中野区
杉並区
豊島区
北区
板橋区
練馬区

東京都は昔は「東京府」で東部の区は「東京市」という人口約680万人弱の市でした。それを昭和18年に東京府を「東京都」に改め同時に東京市を35の特別区に改めたのです。(その後35区から22区になり更に23区になり現在に至っています)

東京は西部と東部でかなり街の様子が違いますが、東京大空襲の影響が少なからずあります。

特に都内東部は、凄惨なじゅうたん爆撃が行われました。具体的には葛飾区・江東区あたりの下町です。
焼け跡の復興のさなか、バラックなどが好き勝手に建てられて、殺風景な街並みになってしまったのではないでしょうか。
さかのぼって江戸幕府が開かれた頃は、江戸の街は海に向かって開けていましたし、東京湾の埋め立ても行われていました。
江戸時代当時なら、蔵前には荘厳な米の蔵屋敷が並んでいたでしょうし、大名屋敷の並ぶ地域なら、真っ白い土塀から立派な松の枝が松葉を覗かせていたことでしょう。

都西部は、戦争当時は武蔵野の雑木林が広がる農村でした。
それが「モダン」な街になったのは、戦後の高度経済成長の時に、都市化・核家族化が急速に進んだ時勢を睨んで行われた、東急線など私鉄の沿線開発と利潤追求によります。
団地開発も政府主導で行われましたが、その代表的な団地が多摩ニュータウンなどです。

東京都の東部・西部とはどこ?

天気予報などで「東京の西部では…」という表現を耳にしますがどの範囲が東京都の「西部」「東部」なのかとういと、気象庁では東京地方は23区東部・23区西部を含めて5つにわかれてます。

多摩北部
多摩南部
多摩西部

■多摩北部
立川市・武蔵野市・三鷹市・府中市・昭島市・調布市・小金井市・小平市・東村山市・国分寺市・国立市・狛江市・東大和市・清瀬市・東久留米市・武蔵村山市・西東京市

■多摩南部
八王子市・町田市・日野市・多摩市・稲城市

■多摩西部
青梅市・福生市・羽村市・あきる野市・瑞穂町・日の出町・檜原村・奥多摩町

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