富久信介さんは「17歳のテンカウント(立川正憲・著)」で取り上げられている人物。
68人が死傷した地下鉄日比谷線脱線事故で帰らぬ人となりましたが、麻布高校で学校に直談判してボクシング部を創部し大橋事務(大橋秀行会長)に通っていました。
富久信介さんのご冥福をお祈り申し上げます
富久信介(日比谷線脱線事故の高校生)が17歳のテンカウント(立川正憲)
乗客5人死亡…日比谷線脱線事故から22年 メトロ社長らが犠牲者追悼
乗客5人が死亡した地下鉄日比谷線の脱線事故から8日で22年です。東京メトロの社長らが慰霊碑に花を手向け、犠牲者を追悼しました。
2000年3月8日、当時の営団地下鉄日比谷線の下り電車が中目黒駅近くで脱線し、上り電車の車両に衝突しました。この事故で乗客5人が死亡、64人が重軽傷を負いました。
事故が起きた午前9時1分、東京メトロの社長らが現場近くの慰霊碑に向かい、二度と事故を起こさないよう安全を誓いました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1f882eabc2e6fb20ef604d308da56295a1753543
富久信介さん(当時17歳の高校2年)は68人が死傷した地下鉄日比谷線脱線事故の犠牲者の一人。
都内屈指の進学校の麻布高校に通い東大を目指す一方、プロボクサーを目指しジムに通うなど文武両道だったそうです。
事故後、本も出版されたほか、「富久信介」の名は、同校の奨学金制度やボクシングの大会「富久信介杯」に残りました。
「事故が起きたのは20年前の俺の誕生日だったんです。先日、その富久との思い出をSNSに載せ、ネットで尚弥の相手のカシメロ情報を調べてたんです。その時に俺の携帯が“ビーン”と鳴って凄い長文が来たんです。20年前に富久と同じ電車に乗っていた女子高生からでした。今は結婚して子供もいるそうなんですが」
https://www.chunichi.co.jp/article/78292
「彼女が言うのには富久は女の子が痴漢に合うといつも助けてくれていたそうで『今までボクシングを全然知らなかったので。やっと会長の連絡先が分かってたどり着きました』と言って。当時、富久に彼女がいる気配も無かったのでまた違った面が見えて感動しましたね。すごくいい話だったんで富久の両親にそれを転送して。両親も感動してそれをまた彼女に送って。彼女もすごく喜んでくれて」
富久信介さんは麻布高校で学校に直談判してボクシング部を創部するも、将来は世界チャンピオンになるのではなく事業に成功して大橋ジムの大スポンサーになると宣言していたそうです。
日比谷線脱線事故の原因は?富久信介(の高校生)が17歳のテンカウント(立川正憲)
結局原因らしい原因が分からず、原因不明に近いようです。
車両は営団(当時)と東武、線路は中目黒手前の営団区間。横を東急東横線も並走はしていますが、当該線路の保守・点検は営団管轄です。
様々な要因が重なり合って起きた事故ですが、大きな要素としては
・脱線した車両の各車輪にかかる荷重のバランスが狂ったまま放置されていた(軸重比不均衡)
・事故現場のカーブが急であるにもかかわらず、脱線防止ガードなどの安全設備が設置されていなかった
・R160の急カーブだったこと
・車輪が削正後で、線路と車輪の間の摩擦係数が大きかった。
・車輪の輪重調整がかなり偏ってた。
が挙げられています。
まず、現場の線形は、急な勾配に急なカーブが左へ進んだところで逆に右へ変わっていく掘割部状の地上区間。脱線防止レールは事故前は無かった。
台車の枠や車輪にかかる力が前後左右で変わって浮き上がり、フランジがかからない状態で脱線。
事故車両はかつて使われていた形より車体も台車も軽い。空気バネ台車だが、異常がなかったと。
ひょんな複合的な偶然の積み重ねで脱線は起きるが、結果、競り上がりと判定された。
これ以来、ガードレールの設置が進み、鉄道車両の側面衝突対策が為されるようになりました。
整備の悪い車両を貸したことが原因ではないか?という見方も出ていますが、あの事故は中目黒を出たところの急カーブに脱線防止ガードが無く、メトロの03系が競合脱線して、偶然にも通りかかった中目黒発の東武20000系に(その日はダイヤが乱れていたと聞いています)、脱線した03系が、普通通りに線路上を普通に走っていたにもかかわらず接触した事故です。
整備が云々は、関係ないと思われます。