トリカブト保険金殺人事件とは、結婚した妻に多額の保険金をかけておいて、トリカブト毒で殺害したされる事件。
数々の状況証拠から夫の神谷受刑者が犯人であることは間違いないとされていたものの、薬物を使った巧妙なトリックによって逮捕に至るまで警察やマスコミを翻弄しました。
70鉢近くのトリカブトや、たった一度しか支払われなかった保険金の掛け金など、数々の状況証拠は神谷受刑者が真っ黒なことを示していました。
ところが、その神谷受刑者には鉄壁のアリバイがあったのです。
即効性のトリカブト毒は、摂取後15分から30分で症状があらわれ、死に至ります。
しかし、妻が苦しみだしたのは、神谷容疑者が別の場所に離れて、1時間50分経った後のこと。その間「飲ませる」タイミングはありませんでした。
およそ2時間の時間の壁。
昭和61年に起きた「トリカブト保険金殺人事件」だ。犯人として逮捕された神谷力は、公判中と服役中に『被疑者―トリカブト殺人事件』『仕組まれた無期懲役―トリカブト殺人事件の真実』と2冊の本まで著して、無実を訴えた。
トリカブト保険金殺人事件とは?
1986年(昭和61年)5月19日、神谷力と妻の神谷利佐子さん(当時38歳)が沖縄旅行を楽しもうと那覇市に到着。
利佐子さんは結婚前、池袋のクラブでホステスをしていた縁でホステス仲間3人も翌20日に合流。
さらに石垣島へ行く旅程だったものの、11時40分になって神谷力は「急用を思い出した」と、神谷利佐子さんを残して那覇から大阪へ帰ってしまいます。
利佐子さんと3人のホステス仲間は予定通り、那覇から飛行機で石垣島に正午過ぎに到着する。
一行は予約していたホテルにチェックインした後に、利佐子さんはこれまで何の病気もなかったのに、すぐに大量の発汗、悪寒、手足麻痺で苦しみだします。
吐き気やめまいを訴え、13時30分頃、救急車で八重山病院へ搬送さることに。
ただ利佐子さんの容体は急速に悪化して救急車内で心肺停止に陥り、直後に病院に到着するも、一度も正常な拍動に戻らず15時4分に死亡します。
まだ那覇空港にいた神谷力は、沖縄県警察から連絡を受けて、急遽、石垣島にやってきます。
神谷の承諾のもと、行政解剖(遺族の承諾による)を行った。利佐子さんのの解剖を担当したのが、琉球大学医学部法医学教室助教授の後任だった大野曜吉氏(現・日本医科大学名誉教授)でした。
大野曜吉氏は当初、内臓には病的な異変はなく死因を急性心筋梗塞としたものの“ある疑念”を持っていました。
心臓の一部に小さなうっ血がある程度で、急死につながる明らかな異常が無いことを不審に思い、利佐子さんの心臓に加え、通常より多くの血液30ccを保存します。
この判断が後に事件解決につながります。
トリカブト保険金殺人事件の犯人の手口・トリックは?
毒物検査は、通常、すべての毒物を一気にできるわけではありません。
各毒物を系統だてて少しずつしか検査することができないので、それ相応の検査試料が必要となります。
薬毒物の化学的検査は、髪の毛や尿からも検出できますが、血液からが最も検出しやすくなります。
大野曜吉氏は、組織学的にも体内に特徴が残らない毒物があるのでは?と様々な可能性を試していった結果、毒草トリカブトに含まれるアコニチンを検出することに成功します。
トリカブトの毒「アコニチン」は、耳かき1杯程度で人を殺すほどの威力があるとされています。
しかし、フグの毒・テトロドトキシンと混ぜ合わせるとトリカブトに含まれる毒・アコニチンを相殺してしまう性質を持詰ようになります。
時間が経つにつれてフグの毒・テトロドトキシンは体内から消失していき、トリカブトのアコニチンの毒性が発揮されるというわけです。
トリカブト保険金殺人事件の犯人は?
警察の捜査の結果、利佐子さんと親しいある人物が事件の直前、トリカブト62鉢、クサフグ1200匹を購入していることが分かります。
その人物こと利佐子さんの夫・神谷力。
『日刊スポーツ』や『FOCUS』といった週刊誌で、神谷力が利佐子さんと結婚する前、大量の金品を送ると出会ってからわずか6日目でプロポーズをした事が利佐子さんの友人から聞き出します。
仕事が公認会計士と神谷力が言っていたのにも関わらず、公認会計士名簿に神谷の名前が記載されていない事など、神谷力の怪しい側面が次々と明るみになっていきます。
決定打となったのは神谷力は、自分を受取人として利佐子さんに1億8,500万円の生命保険をかけていたこと。
加入は死亡のわずか20日前で、しかも当時の神谷力は収入ゼロの無職。
月40万円弱もの保険料の支払いができるような経済的な余裕はなく、保険料は1度しか支払われていませんでいた。
神谷力は消費者金融から借金をして銀座のクラブで飲み歩き、3人ものホステスを愛人としていました。
結局、神経系の病気での利佐子さんの通院歴を契約時に告知していなかったとして告知義務違反を理由に、保険会社は支払いを保留。
5年後の1991年(平成3年)6月9日、神谷力(当時、51歳)は別件の横領容疑で警視庁に逮捕されます。
その捜査の過程で、5年前の妻の死が保険金目当ての殺人であった可能性が浮上し、7月1日に警視庁は殺人と詐欺未遂で再逮捕した。
トリカブト保険金殺人事件の犠牲者は以前にも…
宮城県仙台市で生まれた神谷力は、大学受験では東北大学工学部を目指すものの2年続けて不合格となったことから上京して働き始めます。
※最終学歴=仙台市立仙台高等学校卒
父親が東北大学工学部の教授を務めていましたが、神谷力がまだ子供の頃に教授を辞職すると、革新政党の活動に参加するようになっていました。
そして、神谷力が小学3年の時、父親は占領軍により政治犯として収監されと、母親が働きながら育児をこなすようになります。
そんな生活もつかの間、今度は母親が6歳年下の男性と不倫。神谷力が小学5年生の時に父親が釈放され戻ってきますが、母親は不倫相手と一緒になるために家庭を捨てていました。
家を出て行った母親はその後、不倫相手に捨てられたことを苦に、大量の睡眠薬を飲んで自害。
母親の死後、神谷力の父親と兄は革新政党の活動で家計をまかなっていましたが、とうてい生活ができるレベルではなく、神谷力は小学5年の頃には工場に住み込みで働きながら学校へ通ったということです。
そんな神谷力がトリカブト殺人事件を起こしたのは実は今回が初めてではありませんでした。
実は神谷力には2度の結婚歴があり、以前の妻はいずれも不審な死を遂げていました。
昭和40年に、看護師をしていた恭子さん(当時21歳)さんと1度目の結婚をしていますが、結婚して16年経った1981年(昭和56年)に体調不良を訴え始めます。
神谷力が恭子さんを病院に連れていきますが、症状が改善しないまま38歳の若さで死亡。
死因は心臓が突然止まってしまう不整脈で、彼女には保険金をかけてはいなかった。
翌年の1982年には、同じ会社に勤める同僚で愛人関係となっていたなつ江さんと結婚。
なつ江さんも結婚当初から体調不良を訴え、昭和60年に心不全で亡くなります。
この時も神谷力が車に乗せ、病院に搬送しましたが、2人目の妻には、1000万円の生命保険をかけていました。
そして前妻の死から1カ月後、利佐子さんと交際を開始。4カ月後には結婚したのでした。
トリカブト保険金殺人事件で神谷力の裁判・判決は?
神谷力が借りていたアパートの大家から水道代・電気代料金が異常に高い月があったという証言を受け警察が部屋を捜査した結果、畳からトリカブト毒が検出されました。
トリカブト保険金殺人事件の公判では、神谷力が、いつどのようにして妻に毒を飲ませたかが焦点となりました。
利佐子さんが生前、サプリメントのカプセルを飲んでいたことから、神谷力が毒を入れたカプセルで毒殺したと主張します。
神谷力は「まったく身に覚えがない。私が犯人だとするならそれを証明してもらいたい」「トリカブトのアコニチンは即効性があるので、自分と別れてから1時間40分後に苦しみだした妻の死に関係があるはずがない」と無実を訴えます
検察側は、妻の血液から毒が検出されたことに加え、神谷がトリカブトとフグを大量に買っていたことを証拠として挙げますが、神谷力は「トリカブトは観賞用のために、フグは食品会社を起業するために購入した」と反論します。
そこで検察側はアコニチンとテトロドトキシンの配合を調節することで互いの効力を弱めることができるという検証データで再反論。
結局、東京地裁は神谷に対し1994年(平成6年)、求刑通り無期懲役の判決を下します。
神谷力は徹底的に争う姿勢を見せ控訴しを繰り返しますが、二審の東京高裁も一審判決を支持。
最高裁に上告しますが2000年(平成12年)2月21日、最高裁も神谷の上告を棄却したため、神谷の無期懲役が確定します。
平成24年、神谷は73歳で大阪医療刑務所で病死しています。