坪内知佳さんは、最初はCAをめざす可憐な女子大生だったはずが、なぜか荒くれものの漁師を束ねる船団の代表となった方。
「激レアさんを連れてきた。」「カンブリア宮殿」「アンビリバボー」などでも紹介された坪内知佳さんの気になるプロフィールをまとめています。
坪内知佳wikiプロフィール
名前:坪内知佳(つぼうち ちか)
生年月日:1986年6月17日
年齢:34歳
出身地:福井県福井市
血液型:O型
小学校:福井市木田小学校
中学校:福井市明倫中学校
出身高校:福井商業高等学校
最終学歴:名古屋外国語大学(中退)
職業:萩大島船団丸代表、株式会社GHIBLI(ギブリ)社長
坪内知佳さんは、結婚・出産を機に山口県の萩市に移り住んでいます。
企業向け翻訳やコンサルタントの仕事をするようになり、仕事で知り合ったのが大島の巻き網漁師、長岡秀洋さん。
長岡秀洋さんとは後に、壮絶なケンカを繰り広げるものの、『萩大島の漁業を盛り返す』という理念のもと、萩大島船団丸の事業を成功させるパートナーとなります。
坪内知佳の病気は?
坪内知佳さんはパイロットになりたいと漠然と考えていたところ母親から「パイロットは無理では…」という言葉もあり、キャビンアテンダントを目指します。
しかし、坪内知佳さんは19歳の時に悪性リンパ腫で余命半年と宣告された経歴があります。
大学3年生の時の再検査でEBウィルス感染症及び化学物質過敏症ということが判明し、余命宣告は撤回されましたが、これによってキャビンアテンダントの夢は絶たれてしまいます。
ごくわずかな化学物質でも反応してしまうという持病を抱えてしまったことが、CAの採用条件に引っかかってしまうからです。
応募資格等(JAL HPより引用)
1 大学・大学院、または短大を卒業見込みの方。
2 TOEIC600点、または英検準1級程度以上の英語力を有すること。(証明書類の提出は別途通知します)
3 身体条件: 呼吸器、循環器、耳鼻咽喉、眼球、脊椎等が航空機乗務に支障なく、心身ともに健康な方。
コンタクト矯正視力が1.0以上の方。
4 居住地: 羽田空港まで半径40㎞以内で、かつ公共交通機関を利用し90分以内で通勤可能な圏内に居住または居住予定の方。(会社寮の提供はありませんが、物件の紹介は可能です)
5 土曜・日曜・祝祭日、年末年始を問わず、早朝および深夜を含む交替制勤務が可能な方。
坪内知佳の経歴
坪内知佳さんは船団丸団長・長岡氏から「事業計画書を手伝ってほしい」と言われたことがきっかけで、萩市では漁獲量の減少や後継者不足に悩んでいる事を知ります。
古くからまき網漁が盛んだったものの、2005年から不漁が続き赤字を垂れ流し続けていました。
再生のための策として2011年に萩大島の3船団からなる「萩大島船団丸」を結成することになります。
2012年に3船団からなる合同会社「萩大島船団丸」の代表に就任。
2014年には「活粋BOX(鮮魚ボックス)」事業をメインに株式会社GHIBLIとして法人化し、萩大島のビジネスモデルを全国に水平展開させる事業も行っているものの、ここまでの道のりは決して平たんではありませんでした。
坪内知佳さんがまず目を付けたのは、国も後押しをしていた漁業の6次産業化。
漁業は本来1次産業ですが、
加工(2次産業)
流通・販売(3次産業)
までを一貫して行う6次産業(1+2+3=6)というビジネスプラン作りに着手します。
獲った魚を市場に持って行って終わりではなく、加工、ブランディング、販売、新規販路の開拓等を行い価値をしっかりつけて販売するところまでを漁師たちでやってしまおうというもの。
当時、農林水産省が『六次産業化・地産地消法』に基づく認定事業者を募集ししていて、坪内知佳さんの「活粋BOX(鮮魚ボックス)」プランは2011年5月に中国・四国地方で第1号の認定業者となりました。
「活粋BOX(鮮魚ボックス)とは、漁師が血抜きから箱詰めまで行い、消費者の元まで宅配便で直接届けるシステムで、最短8時間で東京に納品できるようになりました。
ただ、地元の漁師のあり方をひっくり返す斬新なアイデアだったことから、坪内知佳さんは漁師たちの意識改革に相当の苦労を強いられることになります。
鮮魚ボックスのシステムが確立するまで漁師たちとの戦いになった。
漁のあとも作業することに漁師たちは不満を訴えると、時には漁師たちをまとめていた長岡さんが船団丸をやめて、半年ほど顔を出さなかったこともあるほどの大喧嘩も。
たとえ大喧嘩して人間関係がギクシャクしても、結局は『萩大島の漁業を盛り返す』という理念があったからこそ、坪内知佳さんの事業計画は途中で頓挫するようなことはありませんでした。
他にも、獲れたての魚を新鮮な状態で送るためのノウハウも持っていなかったため、「首が折れてるじゃないか」など魚の詰め方にクレームが相次ぎます。
トラブルがあったらその都度、システムに改良を加えていった結果、現在は漁師たちが船上でスマホを駆使して売買を行うまでになります。
漁師たちは魚を水揚げする船上で写真に撮ってLINEで取引先へ送り、その場で注文を取り付けるほど流通がスムーズになっていきます。
萩大島船団丸の取り組みは、全国の漁業関係者に衝撃を与え、船団丸が催行する「スタディーツアー」には他地域の漁師や漁協関係者、議員たちが続々と参加するように。
現在は、日本船団丸として、萩大島船団丸、須崎野見船団丸、薩摩川内船団丸、千葉房総船団丸、北海岩内船団丸、壱岐玄海船団丸を展開しています。
2019年より、日本産の和球に特化したパールブランド「Euripides」を展開し、AERA日本を突破した100人、日経ビジネス2017年最も影響のある「次代を創る100人」などに選ばれています。
坪内知佳のツイッターやインスタグラム
坪内知佳のツイッター
@chika_tsubouchi
坪内知佳のインスタグラム
坪内知佳のフェイスブック
@chika.sendanmaru
坪内知佳の高校や大学など学歴は?
坪内知佳さんの通っていた高校は福井商業高等学校です。
CAを目指していた坪内知佳さんは高校1年生の時には台湾で2週間の語学研修を受け、2年生になると1年間オーストラリアに留学します。
2005年には名古屋外国語大学に進学し、在学中にカナダに2か月間留学も経験。
他にも大学生の時のアルバイトでは契約件数の多さで日本一になるほどカリスマ販売員となったことが、坪内知佳さんが後にコンサルタントとして働くきっかけとなりました。
ところが、CAになる夢が病気で阻まれ、道を諦めたところで妊娠が発覚して大学も中退し、当時の交際相手と結婚して萩に移り住みます。
坪内知佳は再婚した?子供は?
坪内知佳さんは大学を中退したときに付き合っていた男性との間に子供を授かると20歳で結婚して山口県萩市に引っ越しをしています。
21歳で男子を出産しますがその3年で離婚をしています。
以来、坪内知佳さんは女手一つで子供を育てるシングルマザーとなり、翻訳の仕事を始めたのも自分が稼がなくなってしまったため。
子供がまだ保育園に通っていた時には、朝の送りの後は新幹線で大阪へ行き、1日に飲食店を4~5軒まわり、取引先を少しずつ増やして地元に帰るという過酷な毎日を送っていたそうです。
坪内知佳さんはその後、結婚をしたという話をどこかでしているわけではないみたいなので、どうやら現在も再婚はせずシングルマザーだとみられます。
坪内知佳の年収は?
坪内知佳さんが最初に萩市の漁業再生の依頼を受けたときの報酬はなんと3万円だったそうです。
しばくしてからは7万円ほどに上がって、魚も現物支給でもらっていたようですが、現在は日本中の漁業関係者が注目する水産会社の社長となっています。
講演活動もひっきりなしに行うほどの人気ぶりなので、年収に関しては2000万円代に到達している可能性がありそうです。
ちなみに、漁師さんの年収はマグロやカニなどの遠洋漁業では1000万円以上稼ぐこともあるようですが、沿岸漁業だと平均200万円程度。