「常よりも暑さを人わぶるに、川面涼しからむはやと思ひ出でて」の現代語訳について。
『源氏物語』の「第五章 宇治の姉妹の物語 匂宮、薫らとの恋物語始まる」に出てくる「常よりも暑さを人わぶるに、川面涼しからむはやと思ひ出でて」の現代語訳として最適なものは?
【A】いつもよりも(厳しい)暑さを人々はつらく思っているが、川辺はさぞ涼しいだろうかと思い出して
【B】いつもよりも(厳しい)暑さを人々はつらく思っているが、川辺はとても涼しかったなあと思い出されて
【C】 いつもよりも(厳しい)暑さを人々は(自分のせいだと)謝っているが、川辺は涼しいだろうかと思い出して
【D】いつもよりも(厳しい)暑さを人々は(自分のせいだと)謝っているが、川辺はとても涼しかったなあと思い出されて
常よりも暑さを人わぶるに、川面涼しからむはやと思ひ出でて現代語訳|源氏物語
『源氏物語』第五章「宇治の姉妹の物語」の一節、「常よりも暑さを人わぶるに、川面涼しからむはやと思ひ出でて」の現代語訳は、多くの解釈が存在します。
本記事では、各候補訳のメリット・デメリットを詳細に解説し、最適な訳を選ぶためのヒントをご紹介します。
常よりも暑さを人わぶるに、川面涼しからむはやと思ひ出でて現代語訳|候補の解説
【A】
メリット:
「暑さを人わぶる」を「つらく思っている」と現代語で自然に表現している。
「川面涼しからむ」を「涼しいだろうか」と疑問形で表現し、薫の心情を効果的に伝えている。
文法的に正しい日本語である。
デメリット:
「常よりも」を「いつもよりも」と現代語で表現しているが、「常よりも」の方がより古典的な表現であり、薫の心情をより深く表現できると考える人もいる。
「はや」の詠嘆を表す表現がない。
【B】
メリット:
「川面涼しからむ」を「とても涼しかったなあ」と過去形で表現し、薫の回想シーンであることを明確にしている。
「はや」の詠嘆を「なあ」という感嘆表現で表現している。
デメリット:
「暑さを人わぶる」を「つらく思っている」と現代語で表現しているが、「わぶる」には「つらう」という意味だけでなく「嘆く」「恨む」という意味合いもあり、薫の心情を完全には表現できていない。
文法的に誤りはないが、「思い出でて」を「思い出されて」と自発形にしているのは不自然である。
【C】
デメリット:
「暑さを人わぶる」を「自分のせいだと謝っている」と解釈するのは誤りであり、原文の意味を大きく曲解している。
文法的に誤りがあり、「謝っている」という表現は原文には存在しない。
【D】
デメリット:
【C】と同様に、「暑さを人わぶる」を「自分のせいだと謝っている」と解釈するのは誤りであり、原文の意味を大きく曲解している。
文法的に誤りがあり、「謝っている」という表現は原文には存在しない。
常よりも暑さを人わぶるに、川面涼しからむはやと思ひ出でて現代語訳|候補の最適解
上記の詳細解説を踏まえると、最適な訳は 【A】 と考えられます。
【A】 は、原文の意味を最も正確に表現し、文法的にも正しい日本語であるためです。
「はや」の詠嘆は、現代語訳では表現が難しい部分です。
薫の心情をより深く表現したい場合は、【A】 の訳に「ああ、あの涼しかった川辺よ」などの感嘆表現を追加しても良いでしょう。
まとめ:常よりも暑さを人わぶるに、川面涼しからむはやと思ひ出でて現代語訳|源氏物語
『源氏物語』第五章「宇治の姉妹の物語」の一節、「常よりも暑さを人わぶるに、川面涼しからむはやと思ひ出でて」は、薫が宇治川を思い出すシーンで詠まれた和歌です。
この和歌は、薫が都で厳しい暑さに苦しんでいる場面で詠まれました。
■歌詞の構成と意味
この和歌は、以下の五つの部分から構成されています。
「常よりも」: いつもよりも
「暑さを人わぶるに」: 厳しい暑さを人々が嘆いている
「川面」: 川の水面
「涼しからむ」: 涼しいだろう
「はや」: よなあ
この和歌全体の意味は、
「いつもよりも厳しい暑さを人々が嘆いているのに、宇治川の涼しさはどんなだろうか、と思い出されてならない」
となります。
薫は、かつて宇治川で涼を感じたことを思い出します。そして、現在の暑さを忘れ、再び宇治川で涼を感じたいという強い想いを歌にしました。
「常よりも」は、例年よりも厳しい暑さを表しています。
「人わぶる」は、「つらう」という意味の動詞「わぶ」の連体形です。
「川面涼しからむはや」は、「川辺はさぞ涼しいだろうか」という疑問形の表現で、薫の強い想いを効果的に伝えています。