直感と直観にはどんな違いがあるんでしょうか?
インスピレーションの意味は直感?直観?
直感と直観の違いは?意味はインスピレーション?
直観とは「日々の観察・経験の積み重ねによる、無意識下の判断」です。
論理的思考を経由せずに物事の本質の見抜くこと。
たとえば、自分の部屋にはいった時に、小物がいつもの場所から動いていることに気がつく、というようなことは「直観」のひとつです。
直感とは、具体的な事象でなく、本能的ひらめきによってなされるものです。第六感、といわれるのがこれです。
論理的思考を経由せずに物事の本質を感じ取ること。
たとえば、外見の同じ箱のどちらに人形が入っていて、それを当てようと選ぶ時のは「直感」です。
つまり、経験的なデータに基づいて出た答えかどうかが直感と直観の違いと言えるでしょう。
ただ、研究者の中には両者こだわりがない方もいらっしゃるようです。
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西洋哲学(philosophy)において、直観(Intuition)は直感と区別された用語である。
一方で直感は、感覚的に物事を瞬時に感じとることであり、
「感で答える」のような日常会話での用語を指す。
他方で、直観は五感的感覚も科学的推理も用いず、
直接に対象やその本質を捉える認識能力を指し、
認識論上の用語として用いられる。
第六感という表現は、ほぼ後者を指す。
その混同は注意されることが一般的だが、
特に(排中律)論理志向の強い研究者のなかにはこだわらない者もいる。
哲学では、「直観」という言葉は使いますが、「直感」という言葉はあまり使われません。
「直観」という言葉が哲学で使われるようになったのは、中世の聖アンセルムスからで、アンセルムスは、「直観」を二通りの意味で使っていました。
一つは、直観的認識は、現に目の前にあるものについての知識という意味。
もう一つは、いかなる直観的な認識も先行する認識に限定されていない、論証的な認識の反対という意味。
カントが「直観」という時、後者の意味に使っていました。
要するに推論によらない知識を「直観」と言っていました。
そしてカントは感覚を「感性的直観」といい、そして時間・空間を非感性的「純粋直観」と言って直観的に知られると言っていました。
それを批判したのが、パース。彼は言っています
「私たちは直観する能力を持っているかどうかを直観的に判定する能力を持っていない」、と。
また、「私たちは直観と直観以外の認識とを区別することができない」、と。
そしてパースはカントのいう感覚も、時間・空間も、直観によって知られるのではなく、推論によって知られるものだと言っています。
デカルトは「われ思う・コギト」を直観によって知られると言いましたが、パースによればそれも間違い、推論だと言っています。
そしてパースは「直観主義の批判」という論文で、「直観」であろうと「直感」であろうと、「私たちがそう言った能力を持っているという現実的な証拠はない。単にそう<感じられる>と言っているだけである。換言すれば、私たちが直観を持っていることを直観によって知っているというような証明は、あらかじめ証明すべきことを前提にしているのだ」と言っています。
つまり私たちが直観を持っていることと、それが本当に直観であることを直観で知ることは別の事柄である、と。
そしてパースはデカルトの、そしてカントの「直観」を実際は推論であると言って、批判しています。
「直観」と言っているが、推論である、そもそも人間には「直観」という能力は備わっていない、と。