忠犬タローは茨城県石岡市に実在した犬のこと。
映画『石岡タロー』のモデルともなったタローは石岡駅に朝夕2回、決まって現れると待合室に座り、改札口を通る乗降客をじっと見ていたそうですが、忠犬タローの飼い主は?
忠犬タローwiki|飼い主は??#石岡駅みんなのタロー
忠犬タローとは昭和39年、「東京オリンピック」の年の頃の話し。
茨城県石岡市で雑種の子犬が石岡市立東小学校へ迷い込んで来ると、用務員さんが見つけ学校の敷地内にあった用務員住宅飼い始めます。
学校の生徒も子犬のことを「タロー」と名付けて可愛がっていましたが、タローは毎日、朝夕の2回、決まった時間になると学校から約2キロほど離れたJR常磐線・石岡駅に陸橋や踏切を渡るなどしていく習慣がありました。
17年もの長きの間、雨の日も雪の日も欠かすことなく通い、駅舎の待合場でじっと座ったまま、電車から降りてくる乗客一人ひとりの顔を眺めていましたが、後にタローははぐれた飼い主との再会を待ち続けていたことが分かります。
実はタローは飼い主の幼稚園児と石岡駅ではぐれてしまったのでした。
忠犬タローのことはタローの死後になってようやく飼い主の知るところとなります。
「タロー」のことを掲載した「朝日新聞」の記事を読んだ女性(行方市玉造町在住)が「もしかするとその犬は、昭和39年に石岡駅ではぐれてしまった自分の飼い犬かもしれない・・・・」と名乗り出たのです。
当時4才だった彼女は飼っていた子犬を「コロ」と名づけ、石岡善隣幼稚園までの通園に鹿島鉄道(既に廃線)に乗る際、子犬が朝は駅で見送ってくれていたそうです。
幼稚園から帰ってくる時間になると必ず駅まで迎えに来てくれていたそうですが、ある日のこと、「コロ」を乗せたまま列車が動き出してしまったことから、はぐれてしまったそうです。
家族は何日も「石岡駅」周辺で「コロ」を探し歩いたのですが、石岡市立東小学校に迷い込んでいたためにとうとう「コロ」を見つけることは出来なかったのです。
忠犬タローwiki|墓は??#石岡駅みんなのタロー
「忠犬タロー」も知って 茨城の駅前に銅像設置
ハチ公にも負けない、けなげな犬の物語を後世に伝えたい――。茨城県石岡市で、離れ離れになった飼い主の女の子を捜すため、1981年に死ぬまで約17年間も駅に通い続けた「忠犬タロー」の銅像を、市民による顕彰会が今春、市内のJR石岡駅前に設置した。顕彰会は「銅像が市のシンボルとなり、地域活性化につながれば」と願う。
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG23HCN_Y7A620C1CR0000/
主人を待って、毎日駅に通った忠犬タローは可愛がってくれた用務員さんのもとで昭和56年7月に静かに息を引き取りました。
タローのけなげな生涯を物語として残そうと、石岡市立東小学校で校長を務めたことがある佐藤信夫さんが歴代校長らに相談し、2012年に顕彰会を設立。
銅像を作るため寄付を募ると全国から500万円以上が集まり、佐藤さんの提案で、高さ約80センチの銅像はタローのそばに子ども2人を配置し「みんなのタロー」と命名されました。