上村松園の息子の父(夫)は?

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上村松園は1948年に女性として初めての文化勲章を受章した日本画家。

未婚で松篁を生んでますが、父親はだれなのでしょうか?

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上村松園の息子の父(夫)は?

上村松園の息子の父(夫)は松園の師の日本画家鈴木松年ともされるが、未婚であった上村松園は多くを語らず具体的な人物名は明らかにされていません。

上村松園を取り上げた小説「序の舞」でも松篁の父は、松園の最初の師・高木松渓(鈴木松年)だとされています。

鈴木松年(1848~1918)は、京都に鈴木百年の次男として生まれました。父百年は、明治10年頃に京都画壇で最大勢力を誇った鈴木派の祖となった人物で、松年も画を父に学んでいます。父百年が、当時、流行作家の一人であったため松年の生活は、何不自由のない暮らしでしたが、気性が激しく周囲の者とたびたび摩擦を起こしていたと言われています。

松園(本名:津禰=ツネ)は日本最初の画学校に12歳で入学しますが、内弟子で修行する道を選び、翌年画学校を退学して、鈴木松年に師事しました。

そこで、彼女は腕をあげ「松園」の号を与えられました。その後、松園は幾度となく師匠を変えていっています。20歳からは、確かに竹内栖鳳に師事をしています。

しかし、松年との繋がりは保たれていたようで、27歳の時に息子を妊娠・出産しています。

彼女は未婚の母の道を選び、世間の冷たい視線に耐えながら1902年(明治35年)に長男松篁(しょうこう)を出産しました。松篁も長じて、日本画家になり文化勲章を受章しています。

上村松園の子供は他にも松篁の四つ年上の姉が一人いたがすぐに里子に出され流行の病で早世する。

美人画を描かなかった(『万葉の春』の様に例外もある。)松篁だが、松園の影響を受けていることを認めている。

他にも、松篁による「わが母を語る 上村松園」を読むと、下記のような記述もみられます。

私の生まれたのは、明治八年四月二十三日、私の父が死んだのが同じ年の二月。つまり母は、主人を失ってから私を生んだわけです。父は四条御幸町に店を構え、茶舗を創めたばかりのところでした。そんな時に、父が亡くなったのですから、親類、母屋の人々は「二十六歳の若さで子供二人抱えて、とても、店を張ってやってゆけるものではない。店はやめて小そうなれ」と言う。けれど気丈な母は、せっかく主人の創めた仕事だし、今店をやめて小さく暮しては、いつ大きくなれよう。何としてもこのまま店を張ってゆきたいと考え「大事おへん。店はやってゆきます」と親類の人に言い切ってしまいました。

上村松園 わが母を語る

ちなみに、上村松園はその後もかなり年下の恋人に夢中になり、結婚できないなら死ぬといって毒薬を飲もうとするなどしていたようです。

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