ユナボマーとは全米を震撼させFBIが追った連続爆弾魔。
1978年から1995年にかけてターゲットが大学(university)と航空会社(airline)の爆弾魔(bomber)だったことから「ユナボマー」と呼ばれましたが現在はどうなっているんでしょうか?
ユナボマーとは?事件の経緯
ユナボマーとは、1978年から1995年までに米国で16件の爆弾テロ事件を起こし、3人を殺害し、23人を負傷させた連続爆弾魔(シリアルキラー)の通称です。
本名はテッド・ジョン・カジンスキーで、IQ167の天才数学者でしたが、社会や科学技術に反発し、孤独な生活を送っていました。
■ユナボマーの事件
1978年:イリノイ州ノースウェスタン大学で木製の爆弾が爆発。警備員が軽傷を負う
1979年5月:再度ノースウェスタン大学の研究室で木製の爆弾が爆発。研究員が一人負傷
1979年11月:飛行中の旅客機内部で爆発。緊急着陸でことなきをえるがFBIが捜査に乗り出す
1980年6月:ユナイテッド航空社長の家で爆発。社長が負傷。UNIversity Airline BOMBER(大学・航空・爆弾犯)から、犯人はユナボマーと名付けられる
1981年10月8日にはユタ大学に爆弾を送り付けるが警察により解体され未遂に終わる。
1982年5月5日にはヴァンダービルト大学に爆弾を送り付け、事務員の女性が負傷する。
同年7月2日にはカリフォルニア大学バークレー校に爆弾を送り付け、電子工学科教授が負傷する。
1985年5月15日にはカリフォルニア大学バークレー校に再び爆弾を送り付け、電子工学科の大学院生が右手の指4本を失うなどの重傷を負う。
同年6月13日にはボーイング社のオーバーン (ワシントン州)の製造部門に爆弾が送り付けられるが、爆弾処理班により解体され未遂に終わる。
同年11月15日にはミシガン大学の心理学教授マコーネルに爆弾が送り付けられ、2人が負傷する。
同年12月11日にはカリフォルニア州サクラメントのパソコン店経営者を爆殺し、初めての死者が出る。
1985年:一年で4回の犯行。FBIはプロファイリングをして「単独犯・白人男性・名門大学出身・現在30代後半から40代・その時代の最先端技術が犯行目標」と割り出し公開捜査に乗り出す
1987年:ユタ州のコンピュータショップで事件が発生。店員が犯人を目撃していたため似顔絵ができる。
1993年から2年間:3件の事件。2人が死亡。爆弾の威力は増していった
1994年12月10日にはバーソン・マーステラ社の重役、1995年4月24日には木材業界のロビイスト団体代表をそれぞれ爆殺する。
一連の犯行後、ユナボマーは自分の思想や目的を説明した論文『産業社会とその未来』を新聞に掲載するよう要求します
1995年6月:ニューヨークタイムズに56ページの文書が届けられ、「ニューヨークタイムズかワシントンポストが同封の論文を掲載し、さらに3年間の追加記載の要求を受け入れるなら爆弾活動を停止する」と付記されていた
論文の内容は
「産業革命とその結果は人類に災厄をもたらした。生活に不満を行き渡らせ屈辱に人をさらし自然の世界に深刻なダメージを与えた
テクノロジーの進歩は予測不可能な新たな問題につながる。そしてその古い問題が解決されるよりも早くまた新たな問題を発生させる。長い期間にわたり実験と失敗を繰り返しているがその間にも巨大な苦しみが人々を襲い続けているのだ
(産業社会における)自由な人間とは結局のところ社会の歯車でしかなく制約された範囲内での自由を与えられているに過ぎない。それは個人のための自由ではなく社会の歯車として需要を満たすためにデザインされた自由である
自由とは力だ。それは他人をコントロールするための力ではなく己の人生をコントロールすることである。
このメッセージを大衆に強く印象づけるため人を殺さなければならなかった」
その過激な内容から弟のデイヴィッド・カジンスキーに疑われてFBIに通報されました。
1996年4月:情報提供どおりモンタナ州リンカーンでセオドア・J・カジンスキーが逮捕された。証拠も出そろっていた
1996年4月3日に逮捕され、司法取引をして仮釈放なしの8回分の終身刑判決を受けました。
ユナボマーの現在は?
ユナボマーは現在、コロラド州フローレンスにある最高警備レベルの刑務所・ADXフローレンス刑務所で服役していますが、2021年に連邦医療施設に移送されたことが報道されています。
移送の理由や健康状態は公表されていませんが、80歳という高齢なので何らかの病気や障害を抱えている可能性があります。
一方、ユナボマー逮捕のきっかけとなった弟・デイヴィッド・カジンスキーは情報提供者として秘密保持を約束されていましたが、メディアに名前が漏れてしまいました。
彼はFBIから100万ドル(約1億円)の報奨金を受け取りましたが、その大部分を爆弾被害者家族へ寄付しました。
また、兄への死刑回避を訴えるなど反死刑活動家としても活動しており、2001年から2009年まではニューヨーク州反死刑団体NYADP(New Yorkers Against the Death Penalty)の事務局長も務めていました。
まとめ:ユナボマーの現在
ユナボマーとは、アメリカで爆弾を送りつけて人を殺したシリアルキラー。
ユナボマーの本名はテッド・カジンスキーといって、IQ167でとても頭が良かったものの社会になじめず山小屋でひとり暮らしをしていました。
ユナボマーは自分の考えや犯行を新聞に載せるように要求しましたが、それを読んだ弟が警察に通報しました。そのおかげで彼は捕まりました。
ユナボマーは今も刑務所で服役しています。でも、病気になって医療施設に移されました。なぜ病気になったのかはわかりません。
ユナボマーの弟のデイビッド・カジンスキーは兄を通報したあとも兄のことを思っていました2。
弟はユナボマーの死刑に反対する活動家になりましたが、兄から手紙などの返事はもらえませんでした