アメリカーのカリフォルニア州ベイカーズフィールドで発生した一家5人殺害事件。
その犯人は一家の大黒柱だった父親のヴィンセント・エドワード・ブラザーズ(Vincent Edward Brothers)。
アメリカでも大々的に報じられた事件が「世界の何だコレ!?ミステリー」でも取り上げられました。
この事件は犯人が事件現場から3000km以上も離れた場所にいたことで捜査が難航を極めたものの、虫の痕跡が決め手となった逮捕となりました。
アメリカー一家5人殺害(2003年)の経緯
2003年7月6日の日曜日の朝、アメリカ・カリフォルニア州、ベイカーズフィールドでは、
母のジョアニー・ハーパーと幼い3人の子ども達、そして祖母のアーネストの5人が教会のミサに参加しました。
一緒にミサに参加していた友人のケルシー・スパンは夜のミサにも一家が参加する聞いていたものの、ハーパー一家の姿はそこにはありませんでした。
一家に何かあったのか不安を感じたケルシーはハーパーの家に電話をしても繋がりません。
異変を感じたケルシーは翌々日の7月8日にハーパー一家の家を訪れたところ、変わり果てた一家の姿を発見するのでした。
当時、ノックをしても応答がないことから、一か所だけ鍵が開いていた家の裏の出入り口から家に入ると、
妻のジョアニー・ハーパー、息子のマルケス(4歳)とマーシャル(6週間)、娘のリンジー(2歳)、義母のアーネスティン・ハーパーが無残な姿で横たわっていました。
警察の調べでは殺害時刻は7月6日の16時ごろと推定。
ハーパーの家は荒らされていたものの、金目のものは奪われた形跡もなければ玄関が壊されもいません。
現場で見つかったゴム手袋を鑑識に回した結果、別居中の夫であるビンセント・ブラザーズが容疑者として捜査線上にあがりました。
殺害されたジョアニーはベーカーズフィールドの学校に勤務する職員で、バスケットボールのディビジョン1の役員を務めていました。
ジョアニー・とビンセントは2000年に一度、離婚をしていたものの、2003年1月、ジョアニーが第3子を妊娠したことをきっかけにラスベガスで再婚しますが、
2003年4月にはまたもやヴィンセントが家を出ていき別居状態となっていました。
アメリカー一家5人殺害(2003年)の捜査は難航
警察はビンセントの行方を調査したところ、7月2日から夏季超過休暇中で母親のいる実家のあるノースカロライナ州にいました。
ノースカロライナと事件のあったカリフォルニア州はアメリカ大陸の西部と東部で、距離にして約4000kmも離れています。
7月9日、警察は連絡の取れたビンセントとノースカロライナ州で事情聴取を行うと、
いったん、西部のカリフォルニア州から飛行機で兄の家がある東部のオハイオ州で7月8日まで過ごしたのち、8日の夜ノースカロライナ州の実家へ向かったと証言。
しかもビンセントは事件が起こった7月6日に兄の家の近くの店で自身のクレジットカードを使って買い物もしていて、その証拠としてレシートを提出しています。
ブラザーズを逮捕するのに十分な証拠が得られなかったため数時間後には釈放されました。
ブラザーズその後、7月11日にマスコミの目を避けてロサンゼルスに戻ると7月16日の葬儀には出席しています。
アメリカー一家5人殺害(2003年)のアリバイにほころび
ビンセントは事件発生当時、2000マイルも離れた場所にいたというアリバイがあり、警察はお手上げ。
完全犯罪で迷宮入りするかと思われたハーパー一家惨殺事件は、警察の執念の操作でアリバイが崩れていきます。
オハイオで確かにビンセントのクレジットカードで買い物をした履歴はあったものの、
購入時間に店の防犯カメラに映っていたのはビンセント本人ではなく兄のほう。
警察はビンセントの兄に事情聴取をしたところ、ビンセントにカードを渡され、7月6日にこのカードで買い物をしてほしいと頼まれたという証言を得ます。
さらに詳しく事情を聴くと、ビンセントは7月4日の夜から7日の夜10時ごろまで姿を消したいたことから、
警察はビンセント偽装工作を働いていたことを確信します。
後はビンセントが姿を消した間、どうやってカリフォルニアに来たのかという証拠を見つける必要がありました。
カリフォルニアからオハイオまでの距離はおよそ6500kmも離れており、電車やバス、飛行機などあらゆる交通機関を探してもビンセントが乗ったという形跡がありません。
他にも陸路を車で移動した可能性もあるため警察はオハイオにあるレンタカーの店をしらみつぶしに当たったところ、
ビンセントが車をレンタルした店が見つかり、走行距離はなんと8600km。
この車に乗ってカリフォルニアまで行ったとみて間違いないと踏んだ警察は、
ビンセントを逮捕し問い詰めるものの、ビンセントは一貫して事件の関与を否定します。
ビンセントはそれだけの走行距離になったのは母のいるノースカロライナ州へ行く途中で寄り道をしたからだ主張し、
検察もこのままでは起訴は出来ないと、またもは袋小路にぶち当たるのでした。
アメリカー一家5人殺害(2003年)の犯人逮捕は虫が決め手
またもや捜査に行き詰った警察ですが、並々ならぬ執念がまたもや事件解決の糸口につながります。
ビンセントが借りたレンタカーを応酬し、必ずカリフォルニア州へ行ったという証拠が残っているはずだと入念に調べていたところ、エンジンルームを調べると数百匹の虫の死骸が付着しているのを発見。
深夜に高速道路を走っているとライトの明るさに虫がひきつられ、さらにスピードが出ている事から虫の死骸はどうしても付着してしまいます。
ビンセントもレンタカーを返却する際は、フロントガラスなど目につきやすい部分は掃除をしたようですが、ボンネットの内側には虫の死骸が残されていたのです。
これに目を付けた警察は、カリフォルニア大学デービス校の昆虫博士のリム・キンジーに調査を依頼。
すると、ラジエーターとエアフィルターに残されていた虫の種類の一部がロッキー山脈から西側、つまりカリフォルニア周辺にしか生息しない虫である事が判明し、
これでビンセントの乗ったレンタカーがロッキー山脈を越えてカリフォルニアにきたという事が証明されました。
ビンセントの弁護士は「ジョアニー・ハーパーがレズビアンの恋人に殺された」と斬新な理論を持ち出して事件の関与を否定しており、
今回の虫の死骸についても「どこにでもある」と主張したものの、ビンセントの逮捕はすでにゆるぎないものとなっていました。
アメリカー一家5人殺害(2003年)の判決は?
ビンセントは7月4日の長期休暇の週末にオハイオ州コロンバスに飛ぶと、7月6日に家族を殺害するためにレンタカーでベーカーズフィールドまで約2,000マイルを運転し、オハイオ州とノースカロライナ州を往復していました。
この果てしない長距離移動はアリバイ作りのためのものであったが、レンタカーから見つかった数百匹の虫の死骸と走行距離計の表示が動かぬ証拠となりました。
その後、ブラザーズは.22口径の拳銃と「刺すような凶器」を使用したことも判明し、その他、多くの物的証拠からビンセントは多重殺人で第一級殺人罪となり、裁判で死刑が確定した。
ブラザースはカリフォルニア州更生局の保護下に置かれ、サンクエンティン州立刑務所の死刑囚として収監されています。
裁判中もビンセントは40回以上ものうその証言を重ね挙句、ある時には、髪の毛には鍵として使える紙クリップを隠し、足の拘束具を外そうと脱走も試みていたそうです。
ビンセントに殺害動機がある事は間違いなかった。
アメリカー一家5人殺害(2003年)の動機は?
ビンセントはカリフォルニア州立大学ベーカーズフィールド校で教育学の修士号とノーフォーク州立大学で学士号を取得すると、
カリフォルニア州ベーカーズフィールドのジョン・C・フリーモント小学校では副校長も務めていた教育者。
しかし、対外的には問題児にも親身になって寄り添う人物として見られていたようですが、
警察の捜査が進むにつれて、家庭内で暴力をふるう事もあり、さらに同じ学校の教師と不倫関係にあったという情報も判明します。
その相手が、フランクリン校のカーラ・タフォヤ校長で、ブラザースは彼女に結婚を申し込んだと証言していて、2002年にいったんは破局を迎えるものの、
ハーパー一家が殺害される数週間前にも関係を持っていたのでした。
ビンセントは離婚したがっていたが、今の家族と別れたら養育費を払わないといけない、それが嫌だと言っていたという証言を取り付けていました。