ハートリー(タイタニック楽団員)バイオリン落札で婚約者(マリア・ロビンソン)は?

スポンサーリンク
当サイトはアフィリエイト広告を使用しています。
0未分類

ウォレス・ハートリーはタイタニック号の楽団員の一人でマリア・ロビンソンという婚約者がいました。

楽団リーダーのウォレス・ハートリーが所有していたバイオリンが史上最高の1億4000万円で落札されましたが、婚約者(マリア・ロビンソン)は?

スポンサーリンク

ウォレス・ハートリー(タイタニック楽団員)バイオリン落札!

英競売会社「ヘンリー・オルドリッジ&サン」はこのほど、1912年に沈没した英豪華客船タイタニック号の沈没間際まで船上で演奏を続けた楽団のバイオリンが見つかったと発表した。

バイオリンは楽団長だった英国人、ウォレス・ハートリーさんのもので、2006年に英国人男性がアマチュア音楽家だった母親の荷物から発見。専門家による7年間の鑑定の結果、本物と断定された。

沈没事故の2年前にハートリーさんの婚約相手の女性が贈ったとみられ、2人の名前とともに「婚約記念に」と刻まれた銀のプレートが取り付けてある。ハートリーさんは事故で死亡したが、バイオリンを革のケースに入れ、大切そうに体に結びつけた状態で、海上で発見されたという。(ロンドン=共同)

https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1600Q_W3A310C1CR8000/

ウォレス・ハートリーさんのバイオリンは、2013年に現存している事が判明しています

競売会社ヘンリー・オルドリッジ・アンド・サンによるともともと2006年にイギリスの英国のある民家の屋根裏で発見されていたものの、この水に漬かったバイオリンがハートリーのバイオリンだと特定するために、政府の科学捜査官やオクスフォード大学を含む多数の専門家を動員し7年間と数千ポンドを費やしたそうです。

オークションにかけらると、入札は50ポンド(約7,000円)からスタートしたが、わずか数分で10万ポンド(約1,400万円)を突破。

最終的に90万ポンド(約1億2,600万円)で落札されたそうです。

ハートリーの遺体は、事故の約2週間後に遺体捜索用にチャーターされたケーブル敷設船「マッケイ・ベネット」によって引き上げられ、身元が確認されていますがその際、ハートレイ氏は自分の胸に堅くバイオリンを抱いたまま凍り付いていたそうです。

ハートリーのバイオリン落札で婚約者(マリア・ロビンソン)は?

ハートリーのバイオリンは1910年に婚約者のマリア・ロビンソンから贈られたもの。

1912年4月にタイタニックに乗船したときには二人の結婚まであと数カ月となっていたそうです。

ヴァイオリンには

FOR
WALLACE
ON THE OCCASION
OF
OUR
ENGAGEMENT
FROM
MARIA

「ウォレスへ、婚約を記念して~マリアより」と刻まれた銀製の飾り板が取り付けられていたそうです。

ヨークシャーの有名な実業家の娘だった婚約者のマリアさんはバイオリンを引き取ると、生涯独身を貫き1939年6月にブリドリントンでガンにより死去。

兄が家業の会社を引き継ぐまで1930年まで母親と妹と一緒に暮らしていたそうです。

お墓はリーズ近郊の墓地の家族用敷地内にある、標識のない墓に埋葬されたと報告されている。

マリアさんの家族が地元の救世軍(Salvation Army)の楽団に寄付した後、バイオリンはある音楽教師の手に渡ったそうです。

ウォレス・ハートリー(タイタニック楽団員)とは?

ウォレス・ハートリーという人物は、イギリスのヴァイオリニストでした。彼はタイタニック号の処女航海でバンドマスターを務め、船が沈没する中でも率いるバンドのメンバーと共に、命を削りながら演奏を続けたことで知られています。

ハートリーは音楽の道を歩み、学校でヴァイオリンを学んだ後、1909年にキュナード・ラインで働き、主に「モーリタニア」で音楽家として活動しました。そして1912年に、ホワイト・スター・ラインの新造船「タイタニック」のバンドマスターに指名されます。彼は最初は婚約者を残して船に乗ることに躊躇いましたが、将来の仕事の可能性を広げるためにこの仕事を受けることを決意しました。

タイタニック号が氷山に衝突して沈没し始めた際、ハートリーと彼のバンドは、乗客たちを落ち着かせるために演奏を続けました。たくさんの生存者の証言によると、彼らは最後まで演奏を続けたそうです。

残念ながら、ハートリーとバンドのメンバーは生き残ることはできませんでしたが、彼らの勇気と心意気は後世に残りました。彼らが最後に演奏した曲については諸説ありますが、一般的には『主よ御許に近づかん』とされています。

ウォレス・ハートリーと他のタイタニック楽団員の生存者は?

タイタニック号に乗船していた楽団員はウォレス・ハートリーを含め次の8人。

ウォレス・ハートリー(バンドマスター、ヴァイオリニスト)
ロジャー・ブリコックス(Roger Marie Bricoux、チェリスト)
ジョン・クラーク(John Frederick Preston Clarke、ベーシスト)
パーシー・テイラー(Percy Cornelius Taylor、チェリスト)
ジョージ・クリンズ(Georges Alexandre Krins、ヴィオリスト)
セオドア・ブレイリー(W. Theodore Ronald Brailey、ピアニスト)
ジョック・ヒューム(John Law “Jock” Hume、ヴァイオリニスト)
ジョン・ウェズリー・ウッドワード(John Wesley Woodward、チェリスト)

ホワイト・スター・ライン社は彼らを社員として雇用することを避けるため二等乗客として乗船させていました。

「ミュージシャン」と乗船名簿に記入した彼らは、一枚の団体チケットを共有していたそうです。

この音楽家達は常に8人で演奏していたのではなく、ふたつのグループに分かれて演奏しています。

トリオは、レセプションそばにあったア・ラ・カルテ・レストラン(カフェ・パリジャン)で演奏し、
他のクインテット(「オーケストラ」として呼ばれている)は一等クラスのラウンジと、入り口付近などで演奏したという。

タイタニック号の楽団員たちは船が沈む中、最後まで演奏を続けました。ウォレス・ハートリーを含む8人の楽団員がおり、彼らは乗客を落ち着かせるために演奏をしていました。残念ながら、彼ら全員が犠牲になりました。その後、生存者たちが語ったところによれば、彼らの勇気と最後まで演奏し続けた姿は、船が静かに沈んでいく中でも特別なものであり、まさに不滅の鎮魂歌のようでした。

タイトルとURLをコピーしました