柳川荒士さんはファッションブランド「John Lawrence Sullivan(ジョン ローレンス サリバン)」のファッションデザイナー
元フライ級プロボクサー(白井・具志堅ジム)という経歴を持つ柳川荒士さんの気になるプロフィールをまとめています。
柳川荒士wikiプロフィール
名前:柳川荒士(やながわ あらし)
出身地:広島県広島市
生年月日:1975年3月17日
年齢:48歳
出身中学:広島市立己斐上中学校
出身高校:崇徳高校
出身大学:中央大学
柳川荒士のボクシング経歴
元ボクサーだった父の影響で、小学5年生からボクシングを始めると、崇徳高校時代にインターハイ制覇。
中央大学時代には国体、全日本選手権も制した。
アトランタオリンピック代表に選ばれたが、アジア予選で韓国選手に敗れ切符を逃す
具志堅用高に見込まれプロボクサーとなり、フライ級などで4年間リングで戦っています。(1997年3月17日にプロデビュー)
2000年10月19日横浜文化体育館でのスーパーフライ級日本ランカー対決で川嶋勝重にTKO負けを喫し、引退
柳川荒士の経歴
引退後は興味のあった洋服販売を経験。憧れていたイギリス・ロンドンで古着の買い付けを始め中目黒の古着屋で販売をしていたが、その頃自らジャケットのデザインも始める。
2003、2004秋冬より、ブランド名「JOHN LAWRENCE SULLIVAN(ジョン ローレンス サリバン)」でデビュー。
10代から20代の若い世代を中心に人気が高まり、2006年には単独でのショーも開催、2011年にはパリ・コレクションにデビュー
名前はボクシング初代ヘビー級チャンピオン、ジョン・ローレンス・サリバンから付けた。身体を締め付けるクールなブリティシュスーツに特徴がある。
2006年秋、初めて単独でショーも開き、10代?20代の若者を中心に人気が高まっている。 2011年1月、パリ・コレクションにデビューした。
柳川荒士のツイッターやインスタグラム
柳川荒士のツイッター
柳川荒士のインスタグラム
柳川荒士のフェイスブック
柳川荒士の高校や大学、中学の学歴は?
柳川荒士さんの通っていた高校・大学は次のとおりです。
出身中学:広島市立己斐上中学校
出身高校:崇徳高校
出身大学:中央大学
中央大学4年次に当時アマチュア全日本フライ級チャンピオンだったが、体育の授業でボクシングを選択し単位を落としたという裏話がある(出席数が足りなかった為、結果的に中退している)。
柳川荒士の身長・体重は?
柳川荒士さんの体重については具体的な数字は公表されていないものの身長は様々なメディアに登場する様子から160㎝台とみられます。
柳川荒士の結婚した嫁や子供は?
調査中
柳川荒士さんのプライベートについてネットメディアやSNS(twitterなど)などへの投稿など調べられる範囲では結婚していることを確認できるような情報は掴めませんでした。
まとめ:柳川荒士wiki|身長・結婚は?ジョン ローレンス サリバンのデザイナー
柳川荒士(やながわ あらし)は、1975年3月17日に広島県広島市で生まれたファッションデザイナーであり、元フライ級プロボクサーです。彼は、ファッションブランド「John Lawrence Sullivan(ジョン ローレンス サリバン)」の創設者であり、主要なクリエイティブフォースです。
彼の父親がボクサーであったことから、柳川は小学5年生の時にボクシングを始めました。彼は広島市立己斐上中学校を卒業し、高校時代にはインターハイを制覇しました。大学時代には、国体と全日本選手権で優勝し、アトランタオリンピック代表にも選ばれましたが、アジア予選で韓国選手に敗れてしまいました。
その後、柳川はフライ級プロボクサーとしてリングに立ち、具志堅用高に見込まれて4年間活躍しました。彼は2000年に引退し、ファッションに興味を持ち、ロンドンで古着の買い付け販売をする傍ら、自らジャケットのデザインを始めました。
2003年にブランド名「JOHN LAWRENCE SULLIVAN」でデビューし、身体を締め付けるクールなブリティシュスーツが特徴でした。2006年には初めて単独でショーを開催し、10代〜20代の若者を中心に人気が高まりました。2011年にはパリ・コレクションにデビューし、世界的な注目を集めました。
中央大学4年次に、彼は当時アマチュア全日本フライ級チャンピオンでしたが、体育の授業でボクシングを選択し、単位を落としてしまったという裏話があります(出席数が足りなかったため、結果的に中退しています)。