是非に及ばずの意味・使い方は?織田信長は言ってない?誰が聞いた?

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是非に及ばずの意味

本能寺の変で織田信長の最期の言葉とされる、『是非に及ばず』にはどんな意味・使い方があるんでしょうか?

そもそも誰が聞いたのでしょうか?後で信長がそう言っていたと誰が証言した?

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是非に及ばずの意味・使い方は?

織田信長の〝是非に及ばず〟とはどういう意味かというと、

是(よしとする)非(あらざることとする)に及ばず(そこまでする必要がない)

です

良し悪しなんかを判断したりする必要は無い、ということ。

そこから、議論する暇(意味、余裕)もない、現状でその場の対応をするしかない=四の五の言わずに行動する、ということです。

ですから、信長の場合、光秀を非難するとか、和睦の交渉をするとか、逃げる算段をするとか、そんなことを考えたり協議したりする必要は無い、攻めてきたなら戦うだけ、ということです。

後に直江上でも使われており、そこでも「攻めてくるなら、われわれは戦うのみ。言い訳したりこびへつらったりはしないので、どうぞ」という意味で使われています。

解釈としては

1.「敵が来てんだから、戦わなきゃしょうがねえ」

2.「明智が攻めてきたのはまあ、しょうがねえ事だ」

3.「今まで自分がやるべきだと思ったことは全部全力を尽くしてやってきたんだから、思い残すことはない」

4.「あれだけ守りを薄くしちゃったんだから、攻め込まれたらしょうがねえ(手の打ちようがない)」

等々。

是非に及ばず|織田信長は言ってない?誰が聞いた?

「是非に及ばず」の意味は簡単に言ってしまえば「仕方ない」。

「是非もなし」でも「是非に及ばず」でも同じなのですが、日本語としては「良し悪しを論じても意味が無い(実力行使しかない)」という意味です。

ちなみに、「直江状」でも家康の言いがかりに対して「是非に及ばず候」と言っていますね。「やるなら受けて立つ」と言っているわけです。

太田牛一の「信長公記」には女性(侍女)を逃がせと信長が命令したことになっています。そのほか本能寺の僧侶も逃げたという記録があります。

信長が「是非に及ばず」と本当に云ったかどうかはわかりませんが、そのときに信長の身近に女性や僧侶がいたのなら、そこから話が伝わったということでしょう。

ただ、これはかなりの部分がフィクションとされています。

「信長公記」は著者の太田牛一が実際に見聞きした事だけを書いているわけではありません。太田牛一が「信長公記」を書き始めたのは信長の死後です。自分が知っている事、見聞きしたことはもちろんですが、分からない事についてはその事について知っている人に、現代風に言えば「取材」して完成させたものです。

江戸時代に頼山陽が『日本外史』のなかで創作したもので、信長が直接言ったセリフではないという考察もみられます。

信長に「謀反は明智の手勢によるものです」と告げたのは、森蘭丸で、それに信長が応えたのが「是非に及ばず」とあります。

ですから、台詞は森蘭丸が聞いたことになりますが、当の森蘭丸も本能寺で果てましたので、実際のところは不明です。

まとめ:是非に及ばずの意味・使い方は?織田信長は言ってない?誰が聞いた?

信長様の本能寺での最後の言葉

「是非に及ばず」

彼の一代公記「信長公記」によると、最後の命と載っています。

意味としては、

「致し方ない」

が一番よく解釈されることが

ありますね。

しかし、信長様のような自らを第六魔王と名乗る人物がそのようなことを言うのだろうか?問うことで、他の説を唱えると、

「是非に及ばず」は

「道連れにするまで」
「全力でかかれ」

など、さまざまな解釈があります。

大田牛一の『信長公記』にありますが、太田牛一は本能寺の変の際に逃げ延びた女性に取材をして書いた事なので、その女性が嘘をついたかどうかという事になるのですが、その辺は確かめようがないので信ぴょう性には疑問の余地があります。

長篠の合戦の鉄砲の数も300丁を訂正して3000丁としてますので、実は怪しかったりします。

是非に及ばずの意味・使い方は?織田信長は言ってない?誰が聞いた?ネットの口コミは?

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